空間的狼少年

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人面蛙


私の友人の諏訪子は最近ごっこ遊びに夢中になっているらしい。
このあいだは郵便屋さんごっこで、その前は学校の先生、怪獣なんて日もあった。
諏訪子は幼い少女の姿をしているから、そうやって無邪気に遊んでいる姿は周りにはさぞ微笑ましく見えたことだろう。
けれど私は彼女が本物の幼子と同じような思考で遊んでいるのではないことを知っている。
付き合いの長い私でも諏訪子の考えることがときどきわからなくなる。
早苗は諏訪子を尊敬しているが、その姿に惑わされてか、諏訪子を幼い子どものように扱うことがある。
しかしそれは諏訪子がそうさせているだけで、決して早苗が見た目だけで諏訪子を幼子と判断したのではない。
幻想郷へは信仰を集めるという名目でやって来たけれど、果たして諏訪子の目的はそれだけだったのだろうか。

「今日は、私がお父さんです」

朝食のあと、諏訪子が正座をして物々しくそう言った。

「神奈子はお母さん。早苗は私たちの娘ね」

勝手に配役を決められて顔をしかめるが、早苗は素敵ですねと笑った。

「お父さんはもう少ししたらお仕事に行くから、それまで休憩!」

言うと諏訪子は縁側へ行ってごろんと横になってしまった。
私が食べてすぐに寝るなと注意するのを無視して、諏訪子は食器を片付ける早苗に今晩は天ぷらが食べたいと大声を出した。
台所へ行って早苗が食器を洗うのを手伝っていると、早苗はおかしそうに笑った。

「私、神奈子様と諏訪子様の、娘なんですね」

「無理して付き合う必要はないよ、早苗」

「いいえ。とても嬉しいです」

健気な早苗にそう言われてしまうと、今日くらいは付き合ってやってもいいか、と思えた。
そう思ったのだが、諏訪子は特に父親らしいことはせず、庭の地面に棒切れで絵を描いていた。
これは新居、ここが寝室、ここが台所、と独り言をこぼしながらなんとも贅沢な家を描いている。
そんなに大きな家に3人で住むのは少し広すぎるんじゃないかと思うが、口出しするとその倍くらい文句が返ってくるから黙ってその様子を見ていた。
早苗は里に買い物に行ってしまい、出かける直前に諏訪子は「門限はきちんと守るように」などと偉そうな口をきいていた。
門限なんて決めたことは一度もないのに。

「母さん、母さんや。お茶を持ってきておくれ」

縁側でぼんやり諏訪子の行動を見ていたのだが、いつのまにか彼女は隣に座っていた。
お絵かきには飽きてしまったのか、棒切れは遠くに放られている。

「手を洗ってからにしなさい、お父さん」

「はーい。じゃあお茶とお菓子も用意しててねー!」

ぱっと立ち上がって靴を脱ぎ捨て洗面所に駆けていく後姿に、父らしさは一貫しないのか、と諏訪子のルールに首をかしげた。
お茶を2つと栗饅頭をお盆に乗せて居間に入ると諏訪子がきらきらと目を輝かせて待っていた。
これでは諏訪子の方が娘のようだと思ったが、彼女は自分が父であるということは譲らないらしく、小さな体で胡坐をかいて机の前に座っていた。

「栗饅頭だ! ね、何個食べていい?」

「2つまで」

「えぇー。3つ!」

「だめ。2つ」

ぴしゃりと言い放つと諏訪子は頬を膨らませて見せたが、栗饅頭をひとつ渡してやると嬉しそうにかぶりついた。

「母さんや、早苗はまだ帰って来ないのかね」

「さぁ。どこかで寄り道してるかもなぁ」

「けしからん、年頃の娘がどこぞの男と逢引なんて」

わざとらしく言って、諏訪子は自分で笑い出した。
似合わないせりふだと自分でもわかっているのだろう。
それでも諏訪子は顎をなでる仕草で父を演じている。

「さて、母さん。父さんは仕事へ行って来るよ」

「今日はどこまで?」

「んーとねー。どうしよっかなー、お昼には帰ってくるから、その辺の探索するだけかな」

立ち上がった諏訪子は棚の上の帽子をかぶると湯飲みをお盆に乗せ台所へ持っていった。
ただ流し台に置くだけで、洗いはしなかった。
それから食器棚の引き出しから飴をいくつか取り出してポケットに入れて、満足そうにうなずいた。

「さ、行って来るね。神奈子、こっち向いて」

諏訪子は背が低いので私が座ったままでもそう身長に差ができない。
見上げると諏訪子の顔がすぐそばにあり、そっと頬を両手で包まれると視界が暗くなって、唇にやわらかな感触がした。
甘い味のする諏訪子の舌が私の唇をなでるように舐め、額にも唇をくっつけて離れた。
突然のことに驚いていると諏訪子はいつもは見せない、幼さなどかけらもない大人びた笑い方で私を見た。

「びっくりした?」

何も答えないでいると諏訪子は目を細めて人を馬鹿にするように口角を上げた。

「びっくりしてる。やぁい、びっくりしてる」

けらけらと笑いながら諏訪子は縁側に置いたままの靴を履いて出て行った。
雲ひとつない空の下で諏訪子の姿は見えなくなり、あとにはさわやかな深緑の風だけが残された。
私はため息をついて台所へ立ち、湯飲みを洗った。
ごっこ遊びを始めると言ったのは諏訪子のくせに。
諏訪子が取り出したのと同じ棚の引き出しから飴をひとつ取って口に放り込んだ。
すっぱい、レモンの味がした。
諏訪子が言ったのだ、私がお父さんで神奈子がお母さんね、と。
それなのにどうして。
あのとき諏訪子はそれまでのように「母さんや」とは言わずに「神奈子」と呼びかけたのだ。
それが無意識であったのか意図的であったのかは知らないが、諏訪子のことだからわざとやったに違いない。
長い付き合いだというのに、いまだに私は諏訪子が理解できないでいる。
おそらく諏訪子を理解できる者なんて誰一人いないのだろう。
昼になれば早苗も諏訪子も帰ってくる。
そうすればまた、真実と嘘の混じった家族ごっこをしなければならない。
だけど私がどう立ち回っても、結局は諏訪子の思い通りだ。

END
リクエストの「すわかな」でした