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夢見る少女の自己欺瞞
濃いピンクの空と血のようにどす黒い真っ赤な雲。
地面はぶよぶよとやわらかく、油断すればそのまま沈んでいきそうだ。
世界は灰色の錆びた空気で満たされていて息苦しい。
草木はとっくの昔に意志を持ち、とっとこ歩いて逃げていった。
動物は言うまでもなく、虫も鳥も、微生物までもが人間の前を去ってしまった。
そうして完全な支配権を得た人間は利便性を重視して手を6つ持つようになった。
もうここは私の暮らした幻想郷ではない。
だけどなぜだかみんな虚ろな目で幸せそうに笑っている。
傍らの黒髪の巫女も、心配事は何もないと言ってけたけた笑うから、私もそれでいいかという気になった。
そこで私は初めて気がついた。
これは夢だ。
そして気付いた瞬間に私は暗い天井を見つめていて、体はやわらかな毛布に包まれていた。
なんとも奇妙な夢だが、ありえない話でもないように思えた。
ぼんやりとした思考のまま体を起こすと外からは鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。
寒くなってきたので戸は締め切っているが、やけに鮮明に聞こえる。
どうしてだろうと思い眠たい眼をこすると、私の目の前に巨大な鈴虫がいた。
全長3メートルはあろう鈴虫が仄暗い瞳で私を見つめている。
鈴虫は居心地悪そうに身じろぐと、大きくて薄い羽根を震わせて鳴きだした。
あまりの音の大きさに耳をふさぐと、鈴虫は長くとがった手を伸ばして私の両手を耳から遠ざけようとする。
こんなことが起きるなんて、これも夢なのか?
私が疑問に思うと一瞬にして鈴虫は消え去り、私は秋空の下、神社の縁側にいた。
隣には霊夢が座っている。
「起きたの、魔理沙。ずいぶんうなされてたけど、大丈夫?」
勝手に私が戸棚から持ってきていた黒糖のかりんとうを食べながら私の額に手を当てた。
ひどく喉が渇いていたので飲みかけだったお茶に手を伸ばすと、中はからっぽだった。
「あ、お茶飲むの? いれてきてあげるわ」
霊夢がさっと湯飲みを手にすると台所へ向かった。
起き上がった私は大きく息をついてぐしゃぐしゃになった髪を整える。
夢の中で夢を見るなんて、まったく私もおもしろい状態になったものだ。
背後からの足音に霊夢がお茶を持ってきてくれたのだろうと振り返ると、そこにいたのは霊夢ではなかった。
いや、姿かたちは霊夢なのだけど、彼女には顔がなかった。
のっぺらぼうではない。霊夢の顔は暗く、無数の蝿がたかっているかのようにうごめいている。
とっさにこれも夢だ、と思ったのになぜか目の前の化け物は消えずに私に向かってくる。
顔の無い霊夢が私の数センチ先に立ち、湯飲みを差し出してきた。
動けずにいるとずいっと湯飲みを押し付けられ、おそるおそるその中身を見ると、霊夢の顔と同じ黒い虫のようなものがいっぱいに入っていた。
悲鳴を上げて湯飲みを投げ霊夢から逃げ出そうとすると、私はどこかへ落下するような感覚に襲われ、気がつくと季節はもう冬だった。
私は神社のこたつに入り頭を机に置いて眠っていたようだ。全身にびっしょりと嫌な汗をかいている。
こんな暑苦しくては嫌な夢を見るのも当然だ。
こたつから出てがたがたと窓を開けると、外は一面雪景色で、一気につめたい風が私を包んだ。
いつからいるのか知らないが、氷精が庭で大きな雪だるまを作っている。
その隣で霊夢と妖夢が一回り小さな雪だるまを完成させ、頭にバケツを乗っけていた。
「あッ、魔理沙だ!」
チルノの大声で二人の視線がこちらに向けられた。
「おはよ。もうお昼だけどね」
「一緒に雪遊び、しますか?」
からかうような霊夢の声とはしゃいだ妖夢の声が重なり、私は気が緩んで笑ってしまった。
「嫌な夢を、みてたんだ」
外へ出て雪遊びに加わってそう言うと、もう大丈夫よと霊夢が笑った。
私がいるから大丈夫よ、と。
雪うさぎを完成させると、かじかんだ指をこすり合わせて白い息を吐いた。
かなり長いあいだ外にいたせいで体はすっかり冷え切ってしまった。
けれどなぜだろう、ずっと外にいたはずなのに、冬はすぐに夜が来るはずなのに、どうして太陽はてっぺんで止まったままなのだろう。
不審に思って妖夢の肩を叩くと、妖夢は振り向きざまにずるりと熱せられた雪のように溶けていった。
驚いて後ずさると後ろにいたチルノにぶつかり、するとぶつかったところからチルノは氷にヒビが入るように割れて砕けた。
声もないままに震えながら霊夢を見ると、彼女はいつもと変わらない笑顔で私に温かいお茶が飲みたいと言った。
夢だ、と口に出すと霊夢の手が付け根から腐り落ちた。
それでも霊夢は気にせずどうでもいいことを話している。
ずるずるともう片方の腕も落ちかけるので慌てて手を伸ばして彼女の腕を抱きしめると、その瞬間にぱぁんと泡のように霊夢は霧散した。
きらきらと太陽の光で輝く泡はとてもきれいで、私はどさりとその場に崩れ落ちた。
頭を抱え早く起きろと念じると、ぐわんと視界が歪み、次に目に入ったのはまんまるの満月だった。
たくさんの長い竹も見えるから、ここは竹林だろうか。
「起きたね」
ぴょこんとうさぎの耳が満月を隠した。
どうやら私は地面に仰向けに寝転がっているらしく、その上からてゐが私を覗き込んでいる。
「ようやく起きたのね、ならさっさと帰りましょう」
上体を起こすと隣に霊夢がいた。
先ほどの恐ろしい夢が鮮明に脳内によみがえり、私はとっさに彼女の腕にしがみついていた。
どうしたのと困惑する霊夢の頬に手を当て、そのまま髪に手を差し入れ、どんなに触っても彼女が消えてしまわないことに安心すると、
疲労感に耐えられず彼女の肩に額を置いた。
冷やかすてゐの声も無視してどうしてこんなところで私は寝ていたのかと尋ねると、竹林を霊夢と散歩している途中、近くで争っていた
輝夜と妹紅の弾幕のひとつが飛んできて私の頭に当たったのだと言う。
なんと迷惑なことか。
重いと訴える霊夢にしがみついて、これが夢でないことを満足するまで確認した。
そうしてようやく顔を上げて呆れた霊夢の顔を見ようとすると、さっきまであれほど確認したはずのぬくもりはもうそこにはなく、
ただ真っ白な暑さも寒さもない広がりがあるばかりだった。
霊夢とてゐの姿もなければ竹林も満月も何もない。
空も地上の境も無く白い広がりだけが私と共にある。
どうして覚めないんだ、どうしていつまでも夢のままなんだ。
かすれた声で叫んでも返ってくる音はなく虚しいだけだった。
どこかへ駆け出そうとしてもどこまでも何もないのだからすぐに足が止まってしまう。
早く覚めろ、とあらん限りの声で願うと、ふっと体が軽くなり、今度は見慣れた神社の境内に立っていた。
真っ青な空に雲が薄く伸びている。
「これは現実か?」
「夢にもできるわ」
呟きに返ってきた声の方を見ると霊夢が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
恐怖を感じるほどの穏やかさだ、怒りも悲しみもなくなってしまったかのような、平和な草原を吹き抜ける風のような、人間が見れば寂しさしか
感じないような。
「お前が見せていた夢なのか」
「いいえ、私はあなたと一緒に夢の中にいるわ」
「じゃあ今も夢か」
「魔理沙が夢であって欲しいと言うなら、夢にしてあげる」
「どうせまたお前は消えてしまうくせに」
そう言うと霊夢は表情をなくしたかと思うと、ぱぁっと瞳を輝かせた。
「そう、私はそれを言って欲しかったの」
嬉しそうに霊夢が私の首に両腕を回して自分の頬を私の頬にくっつけた。
ふわりと霊夢から香る甘い花の蜜のような匂いに意識が遠くなる気がした。
「私が消えて悲しかったでしょう? 私がいなくなることを恐ろしく思ったでしょう?」
耳元で聞こえる霊夢の声はさっきまでの夢の中の霊夢と比べてずっとはっきりしているから、これはたぶん現実だろう。
だけどようやく夢から覚めたことに私はまったく喜んでいなかった。
「ねぇ、私にずっと一緒にいて欲しいって思ったでしょう? 消えてしまった私にもう一度会いたいって思ったでしょう?」
長い黒髪の少女は自分に不都合なことは全て自分の中で葬ってしまったらしい。
そうして私もまた彼女の言葉に飲み込まれ、肯定を示すしかできない。
霊夢の言うことに間違いなどありはしないのだから。
しかしこれがもし、さっきのような夢だとしたら、本当に望んでいるのは霊夢なのか私なのか区別がつかない。
私の中で作り出した霊夢なのか、それとも私が霊夢の望む姿であろうとした結果なのか。
どちらにせよ私は霊夢の望むままであろうだろう。
どんな世界でも、私は霊夢の言葉通り、彼女が消えない世界ならばどこでもいいのだ。
たとえ誰もいない、広くて白いだけの世界だとしても。
END
リクエストの「やんでれいむでレイ→マリ」でした