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Way of Difference
全てが終わった後の帰る場所がファイにはなかった。
旅の途中はあえてそれを問題にはしなかった。
誰の口からもその話題は出なかったし、自分でも考えないようにしていた。
行きたいところはあった。でもそれはあまりにもおこがましい願いであった。
しかし彼は容易にそれを口にした。
「日本国へ来るか」
彼は何でもないことのように、ちょっとした提案であるかのように言った。
実際、彼にとってはそれは当たり前のことであったのかもしれない。
責任を負うために、ファイを自国へ連れて帰ることは始めから用意されていた道だったのかもしれない。
けれどファイはそれを断った。
「ううん。行かない」
首を振って笑って答えた。
黒鋼はそうかと前を向いたまま表情を変えることもなかった。
もし、それでも強引に彼が自分を連れて行こうとするならば、喜んで手を引かれようと思っていた。
それが甘えであり、他人任せの選択であることを知っていたが、それが自然の流れであるならば流れに乗るのは罪ではないはずだった。
が、彼はそれっきりファイを日本国へ誘うことはなかった。
ファイは悲しんだが、きっと黒鋼がようやく責任から解放されたことを喜ぶだろうと思った。
長い長い時間を生きた中で、いちばん楽しかったのは、この仲間たちとの旅だった。
長い時を生きたからこそ、同じで居続けることはできないと、十分に理解しているはずだった。
それでも、それがどれほど自分勝手なことと理解してなお、もう一度最初からあの旅をしたいと願った。
楽しいことも辛いことも、もう一度と思えるほどファイにとってあの旅はファイ自身であった。
その中でも彼との出会いは大きくて、離れられないほどに強かった。
けれど最初から彼は日本国へ帰ることを目的としていたし、自分はひとところに留まらないことを目的としていた。
だから別れは当然で、一緒に来るかと言われてもうなずけるほどファイは素直な人間ではなかった。
別れはあっさりと、黎明ははっきりと、広い幅で進んでいった。
ファイはひとりになった。
みんなそれぞれ帰る場所があったが、ファイはひとりきり、知らない場所で立ちすくんだ。
もう二度とあの旅の中で笑うことはないのだと思うと、胸が痛んだ。
一緒に来るかと言ったあの声に、応えることができていたなら今頃どんなに幸せだったろう。
静かな森の奥深くに逃げ込んで蒼い空気を吸い込んでいた。
夢であるかのように思われた呼吸は、しかし現実であり、冷たい霧は肌を濡らし体温を奪った。
背の高い草ばかりが生えている森だった。
毒々しい蔓が赤黒い大木の周りに巻きつき、虫さえも飛んでいなかった。
太陽の光も入らない、暗く安らかな森だった。
日が沈むのも昇るのもわからないが、ファイにとって日が過ぎることはどうでもいいことだった。
時間ばかりが過ぎていくが、それもわからず、一歩も動かず一本の樹のように立ち続けた。
他に動物もおらず、風も入らない。ただ存在するだけの奇怪な森は時が止まっているかのようだった。
ここで死ぬのだろうかと考えると、無性に苦しくなった。
だがそれと同時に自虐的な快楽がファイを包み、ここで無様に野たれ死んだ死体を彼が見たなら、何を思うだろうと考えると、自然と笑みがこぼれた。
彼が自分をどれほど大事にしてきたかをファイはいやと言うほど思い知らされた。
そんな自分が、彼の手の届かないところで知らないうちに死んでしまったと知ったら、どんな顔をするだろうか。
餓死か、毒死か、それとも縊死か?
いずれにせよそれはほとんど自殺と同じであり、彼が最も嫌うところの死に方である。
そう考えたところで、彼の精悍な顔立ちが頭をよぎった。
たくましい肉体、汗のにおい、するどい眼光とどっしりとした足取り。
そしてあの大きな、無骨な手。あの手に幾度助けられたことだろう。
あぁ、会いたいなぁ……会いたいなぁ……
気がつくとそこは森ではなかった。
硬い砂利が膝を痛めた。どうやら地面に膝をついているらしい。
強い光に目がくらみ、手で顔を覆う。
誰かが砂利を踏む音がした。知っている気配がする。
鼓動が早くなり、やらかしてしまったことに気づいた。
無意識のうちに、少しだけ、少しだけと欲望が大きくなっていた。
「来、ちゃっ……た……」
ファイを刺す光は彼が隠した。
顔を上げると見慣れた仏頂面があった。
殴られるか、斬られるかするかと思った。
しかし痛みはなかった。代わりにやさしい手に抱かれていた。
彼が何かを言った。聞き取れない言葉だった。
次元移動で魔力を使ったせいで力が入らない。
それ以上に、どこまでが夢でどこまでが生で、どこからが現実でどこからが死なのかわからなくなっていた。
もしこれが夢でないのなら、もしこれが死でないのなら、どうしてこれが幸福でないだろう。
じわりと視界が濡れてにじんだ。
最初からこうしていられなかったのは自分の不器用さで、暗い森での死への渇望も自分の不器用さのせいだ。
彼は怒っているだろうか。
一度は誘いを断ったというのに、おめおめと彼の元へやって来た。
答えは彼のぬくもりにあった。怒りも悲しみもない。落胆も苛立ちもない。
感動だけがあるのだと、ファイには伝わった。
「ごめんね、ごめんね……」
以前と変わらぬ姿にファイは謝り続けた。
返ってくるのは強い抱擁だった。
End
イメージソングは題名の通り