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うちのお姫様
ピッフル国はとても平和な国だった。
いざこざや争いのある国ばかり通ってきたせいか、この国はやけに穏やかに感じる。
サクラは薄い桃色のジュースを飲み、テレビを見ながらファイの焼いたクッキーをモコナと分け合い食べていた。
朝はみんなレースの本番に向けてマシンの整備をしていたけれど、黒鋼がサクラに合わせてパーツをいくつか取り替えたほうがいいんじゃないかと言い、
ファイと共に買いに出かけて行った。
自分が行くと申し出たサクラだったがファイに休んでてと言われたのでしかたなく留守番している。
自分の必要なパーツなのだから自分で買いに行くべきなのに、どうしてだか旅の仲間はみんなサクラに優しくしてくれる。
とても嬉しいことなのだけど、こんなに贔屓されていいのだろうか。
それをモコナに相談してみると「サクラはお姫様だからいいの!」当然のように言われてしまった。
確かに自分は玖楼国の姫であるけれど今はそんなこと関係ないのに。
「サクラ、ねぇ、サクラ」
モコナに呼ばれてはっとする。
考え込んでしまっていたらしい。
「サクラ、まだ考えてるの?」
「だって、わたしばっかり気遣ってもらって……」
「もう。サクラは考えが足りない!」
モコナがぴょんとテーブルを移動してサクラの前に仁王立ちする。
「気遣ってるんじゃなくて、みんなはサクラを可愛がってるの。だからサクラはそれを喜んで受け入れていいんだよ」
「可愛がって……?」
首を傾げると同時に扉が開いて黒鋼とファイが帰ってきた。
二人ともたくさん荷物を持っているから寄り道したのかもしれない。
「ねー、もう怒らないでよー。ほら、クッキーあげるから機嫌直してー?」
不機嫌な顔をして大股で歩く黒鋼の後ろを困ったように笑いながらファイが追う。
もう定番の光景となったそれを見ながらサクラはおかえりなさいと告げると、ただいま、とファイが笑顔で答え黒鋼は不機嫌なまま短く返事をする。
黒鋼はいつも愛想がなく不機嫌なときも多いけれど、どんなときもサクラの挨拶には律儀に答えてくれる。
「ファイ、また黒鋼怒らしたの?」
机から降りたモコナがファイの腕へジャンプする。
「うーん、オレのせいじゃないんだけどー」
「おまえのせいだろ!」
やわらかいモコナの肌に頬をすり寄せながらファイが抗議する。
「違うよー。確かに原因はオレだけど、さっきのはオレは関係ないでしょー」
「自分が原因だって言ってんじゃねーか!」
「もー、聞いてよモコナ、サクラちゃん。あ、小狼君もこっち来て来てー」
二階の自室で部屋の整理をしていた小狼が降りてきたのを見てファイが手招きする。
レースが終わり羽根が手に入ればすぐ移動になるからと今のうちから部屋を片付けている小狼をサクラはえらいと思う。
「どうしたんですか?」
小狼はサクラの正面の椅子に座ってクッキーを1つ手に取った。
「あのねー、さっきお店でね、小さい子どもが黒様を指差して『黒たん号に乗ってた人だー』って言ったの。だからオレが『そうだよ、黒たん号の人だよ』って言ったら、
子どもが集まって来ちゃってさぁ。ほら、あのレース、テレビで放送されてたでしょ? で、子どもたちの間で『黒たん号に乗ってた人』から『黒たんの人』に省略されちゃってさー。
黒たんの人速かったね』とか話してるの。そしたらその親御さんまで来て『黒たんさんですか?』とか言うようになってー。あはははは、黒たんさんってー」
「笑うな!!」
思い出して笑うファイにつられて小狼とサクラも笑うと、黒鋼に睨まれてしまった。
それでもやっぱりおかしくて二人でこっそり目を合わせて笑った。
「それはファイ、ぜんぜん悪くないよ! 悪いのはすぐ怒る黒鋼なの」
「何で俺が悪いことになんだよ!」
モコナを捕まえにかかった黒鋼に、モコナはきゃーと楽しげな悲鳴を上げて逃げ出した。
ぴょんぴょんと逃げ回るモコナは机の下からテレビの上、ソファに飛び乗ったあとファイの手の中に収まった。
そのままファイはソファに腰掛けて買ってきた荷物を袋から出し始めた。
「てかさー、黒たんってすごく可愛いのに何が気に入らないの?」
モコナの捕獲を諦めた黒鋼も荷物の中身を冷蔵庫に入れるものとそうでないものを分ける作業に入った。
「そもそも可愛くねぇだろ」
「えー! なんで!? 黒わん感性おかしいよ!」
「感性は人それぞれだろが」
「じゃあ黒様が可愛く思うものって何ー?」
そう聞かれて黒鋼はしばし考えるが、何も思いつかず沈黙した。
「モコナは? モコナは可愛いよね?」
「……別に」
ひどい!と叫んでモコナがサクラの頭にしがみついてわめく。
サクラがモコナを優しくなでて、小狼がモコナにクッキーを差し出して慰めるが、モコナは非難の目で黒鋼をにらんでいる。
ひどいと言われても黒鋼はモコナを可愛いなんて思ったことがないのだから仕方がない。
「じゃあさ、犬は? 犬は可愛い?」
ファイが尋ねると、黒鋼は犬は強いもんだろと答える。
「猫は?」
「思ったことねぇな」
「えー。うさぎは?」
「別に」
「ウリムーは?」
「なんだそれ」
「あれ、黒るんの世界にはいなかったのかー。じゃあ、んー、桃とか」
「何で食い物が可愛いことになるんだよ」
二人であれこれ話し出したのでサクラは姿勢を正してジュースのおかわりを注いだ。
問答を続ける大人たちを微笑ましく思いながら小狼に話しかける。
「小狼君、もう部屋の片付けは終わったの?」
「はい。あとはレースが終われば全部片付きます」
えらいね、と言うと小狼はそんなことないですよと笑う。
機嫌を直したモコナも、えらいねーと小狼を褒めるので少年は謙遜しながらも照れているようだった。
可愛いものはたくさんあるとサクラは思っている。
犬も猫もうさぎも桃も。
それからモコナも小狼もファイも黒鋼も。
可愛いと思うのは好意の表れだから、サクラは好きなものはぜんぶ可愛いと感じている。
一緒に旅をしているこの人たちも大好きだし、いろんな国で出会った人たちも大好きだ。
男のひとはあまりそういう考えじゃないのかな、とまだ後ろであれこれ言い合っている黒鋼を振り返る。
するとちょうどファイと目が合い、ぱっとファイの笑顔が輝いたと思うといきなり指を指された。
「そうだ! サクラちゃんだ! 黒たん、サクラちゃんは可愛いと思うでしょ?」
「えぇっ?」
突然そんなことを言われてびっくりしてジュースをこぼしかけるサクラに、黒鋼が何か納得したように
「あぁ、そうか。確かにそうだな」
なんて言うものだからサクラは顔を赤くして慌てる。
「黒鋼ひどい!」
サクラの隣にいたモコナが声を上げた。
「モコナは可愛くないのにサクラにだけ可愛いって言うの!?」
再び機嫌を損ねたモコナが黒鋼の腰に頭突きする。
うるせぇと言って攻撃をしかけてくるモコナを避ける黒鋼はもうサクラを見ていない。
ファイに言われただけならこんなにならなかったのに、あの黒鋼にまで何でもないことのように言われてしまい、サクラはぎゅっと服のすそをつかんでうつむく。
後ろでどたばたと暴れる音もファイの笑い声もサクラの耳には届かない。
いったいどんな顔をすればいいのかわからない。
それなのに、追い討ちをかけるように正面の小狼が緊張した様子で声をかけた。
「あの、姫……」
「な、なぁに?」
「あの、えっと、おれも、その、姫のこと、可愛いと、思います……」
消え入るような声だけれどもしっかりとサクラには聞こえた。
その言葉にもうどうすればいいの、と頭を抱えそうな勢いでサクラは机に突っ伏した。
小狼も自分で言っておきながら恥ずかしさに耐えられず片手で顔を覆った。
ぐるぐる感情が巡るので目を閉じて落ち着こうとしていると、ふと二人は大人たちの声が聞こえないことに気づいた。
嫌な予感がしておそるおそる顔を上げてみると、黒鋼もファイもモコナもからかうような目で小狼とサクラを見ている。
「あ、いや、あのさっきのは」
「小狼ったらもうー!」
弁解しようとした小狼を遮ってモコナが冷やかす。
あわあわと泣きそうになって二人とも慌てるので見かねたファイが小狼を呼んだ。
「小狼君、お昼ご飯作るの手伝ってくれるー?」
「あ、はい、今行きます」
深呼吸した小狼がファイのあとに続いて台所へ向かった。
黒鋼もどこか楽しそうなため息をついて、荷物を持って台所へ行ってしまった。
残されたサクラは大きく息を吐いて机に頭を乗せる。
「もう、みんなしてからかって……」
「ね。モコナの言ったとおりでしょ?」
サクラが首をかしげるとモコナは嬉しそうに言う。
「気遣ってるんじゃなくて、かわいがってるんだって」
モコナに無垢な笑顔で言われてサクラは火照った顔のまま席を立つ。
嫌だと思って文句を言ってるのではない。
でもやっぱりそんなことを面と向かって言われると恥ずかしいのだ。
もう一度深く息を吐いて、気分を入れ替える。
言われたなら言い返してやろう。
玖楼国にいたころ、よく兄と喧嘩をしていたのを思い出してサクラは意気込む。
言われっぱなしは気に入らない、ぜったいに仕返ししてやる。
台所にいる人たちの可愛いところをいくつも頭の中で挙げていって、お昼ご飯のときにぜんぶ言ってやろうと決心する。
「サクラ、もう大丈夫?」
「うん、ありがとモコちゃん。こっちの荷物片付けよっか」
そしてその日のお昼には、可愛い姫君に可愛がられる人たちが見られた。
End
セレスにはウリムーくらいいるよ、きっと