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追憶エトワール
ひっきりなしにがたがたとおんぼろの神社を揺らしていた肌を刺すような風も、最近ではだいぶやわらかくなった。
だけど寒さはまだ幻想郷から去ってはくれないようだ。
こたつに入って私は熱いお茶をすすり、白い息を吐く。
だんだん頬が温かくなってきて、とろんとした眠気が頭に広がる。
その眠気を振り払うように深呼吸をして、私は机に地図を広げた。
「最初にあなたと出会ったのは、このあたりだったからしらね、魔理沙」
幻想郷のおおまかな地図の中心には、私の住まいである博麗神社が記されている。
私は境内のあたりを指で示して丸を描く。
「あの頃と比べたら、私もあなたも成長したわね」
森、村、山、空…ここに海はないけれど、私達はこの目で大きな海を見て、それから魔界にも地底にも行った。
こんな辺鄙な楽園で私達は誰よりも冒険を重ねてきた。
「そういえば、月の異変の日。あなたは真面目に私と戦っていたかもしれないけれど、あんな状況のなかで私ね、
あなたとの勝負が楽しくてしかたなかったわ。あれからあなたと弾幕を撃ち合うのが楽しみになっちゃって。
魔理沙はいつも私に負けてばかりだから楽しくなかったかもしれないけどね」
くすくす笑って指を動かして地図の道を辿る。
指は地図の中を駆け回り、あの日々が昨日のできごとのように思い出される。
しょっちゅう魔理沙は私の神社に来ては私にお茶やお菓子を要求して、図々しくて迷惑なのに、あんなふうに
定められた役割以外のことを求められると、つい嬉しくなってしまうのだ。
いつもは私に霊夢は怠けてばかりだとか、お賽銭がないのは霊夢が仕事をしないせいだとか言っていた魔理沙だけど、
それは彼女は私のことを理解しているからだった。
だって、他の人や妖怪は私に「霊夢はえらいね」なんて言うんだもの。
「本当に、ねぇ、思い出したらきりがないわ。桜や紅葉の下での宴会も、紅魔館でのパーティーも、魔理沙がいなかったら
ちっとも楽しめなかった」
私も魔理沙も交友関係が広がり多くの人間や妖怪と笑い合うようになったけれど、私にとって魔理沙以外の誰かといる
時間は有意義なものではなかった。
そしてそれ以上にひとりでいる時間は無駄としか思えなかった。
だから、今こうしてひとりで過ごす時間が苦痛に感じられる。
「こんなものだけ置いていかれても困るのに」
部屋の隅には魔理沙が愛用していた先のとがった黒い帽子が置いてある。
持ち主に手放された帽子は寂しそうにくたびれてしまっている。
「どこ行くのにもかぶってたものね。吹き飛ばされたり湖に落としたり、扱いは散々だったみたいだけど…」
あるとき、魔理沙は珍しいキノコの情報を手に入れたと興奮気味に私のところへやって来た。
そんなものにまったく興味のない私は軽く受け流していたけれど、魔理沙は私が聞いていようが聞いていまいが関係ないらしく、
ひとりでそのキノコについて熱弁していた。
それから魔理沙はこのキノコを探しに行ってくると言って、はしゃいだ様子で箒に乗って空へ飛んだ。
その拍子に彼女の帽子が頭からずれて、私の手元へと落ちてきた。
私が落ちてきたことを伝えると、また取りに来るから持っていてくれと叫んで魔理沙は高速で山のほうへ消えていった。
雪のふる寒い夕方のことだった。
赤い鼻をすすりながら、これがあれば新しい魔法が生まれるかもしれないと、帽子に雪が積もるのも気にしないで白い息を
吐きながら子供のように笑っていたのが、鮮明に脳裏に焼きついている。
そのとき私は、魔理沙の話を無視するかのようにうんざりした顔で冷たい両手をこすり合わせていた。
「もう少し真剣に聞いてあげればよかったわね」
苦笑して薄い緑のお茶を見つめる。
何度、変わっていたかもしれない今を思い描いたことだろう。
もうすぐ魔理沙が姿を消して3度目の春がやってくる。
最悪の結末を考えなかったわけではないが、そのたびにあり得ないことだと振り払って正常を保っていた。
「ずっと、待ってるのに」
けれど本当はもう気づいてしまったのかもしれない。
今年も魔理沙のいない春を迎えることを私は嘆いていない。
私はもう、気づいているのかもしれない。
End