空間的狼少年

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とりかえばや 



確かに、平和な日常がずっと続くのは良いことだが、ずっと同じことが繰り返されるというのは滑稽なことかもしれない
しかし堀鐔学園に勤めている黒鋼にはずっと続く平和な日常なんてものがもたらされることは永遠にあり得ない。
毎日毎日あの理事長と化学教師に翻弄されて、一週間平和な日が続けば珍しいと驚くほどだ。
朝っぱらから慌しく黒鋼の部屋に飛び込んできた双子を見て、もうどんなことだろうが些細なことだ、と諦めた。
しかし、今回の事件は簡単に追い払えるような些細なできごとではなかった。

「どうしよう、どうしよう!」

インターホンが鳴ってどうせファイだろと思って扉を開けたとたん、そう言って抱きついてきたのは弟のユゥイだった。

「黒様、どうしよう!?」

「…………おまえ、兄貴の真似はできないっつってなかったか?」

「違うの! オレがファイなんだよ!」

顔だけでは見分けがつきづらいが、目の前の男の髪は後ろでおろおろしているもう一人よりも少しばかり長い。
たった一日で髪がここまで伸びるはずもなく、寝起きと言えども騙されるわけがない。
それに双子であっても全く同じ顔ではないのだ、毎日見ていれば一応は特徴をつかめるようになる。
ファイはいつもいつも人をからかっては喜ぶような奴だ、今回は弟まで巻き込んで、まったく迷惑極まりない。
玄関先のユゥイのふりをしているらしいファイを睨んでため息をつく。

「早く支度しないと遅れるぞ」

「ほんとなんだってばー! あっちがユゥイなの! オレたち入れ替わったんだよー!」

「あぁ、おまえ今日は学校に来ない日だったか?」

「お願い信じてよー!」

弟の方がこんなことをするなんて、とは思ったがこの主張にはあまりにも真実味がない。
どうせまた、からかっているだけだ。
くだらないことをするなと言って頭を押しのけて引き剥がすと、後ろのファイにそっと声をかけられた。

「あの、黒鋼先生、本当なんです」

それはファイにしては控えめな口調だった。
ファイはもともとうるさくやかましく、人が喋っていようがかぶせて喋りだすような男だ、まるでしつこくしがみついてくる目の前のこいつのような……

「おまえ、ほんとに」

「オレだよ! ユゥイならこんなこと絶対できないでしょ!?」

「…………夢だな」

「現実逃避禁止!」

ぱこんと頭をはたかれた。

「いってぇな、何しやがる!」

「痛いよね!? 夢じゃないんだよ!」

「だからっていきなり殴るな!」

「黒様だっていっつもオレのこと殴るじゃん!」

「それはてめぇが余計なことばっかするからだろうが!」

怒鳴って、あれ、これっていつものファイのやり取りじゃないかと嫌な確信に近づいてきた。
目の前の男はどう見てもユゥイだ。そして後ろの男がファイ。
しかしこのユゥイの今の言動は、いつものユゥイではあり得ないし、演技をしているにしてもあのユゥイがここまでやるとは思えない。
本当に入れ替わった……?

「何をどうすればこんなことになるんだよ……」

ようやく認めて脱力して、額に手を当てた。

「原因はなんとなくわかってるんだー」

ユゥイの姿のファイ(たぶん)が苦笑する。
ファイの姿のユゥイ(たぶん)も困った表情で黒鋼を見る。
玄関じゃ狭すぎるのでリビングに移動したが、正直言うとこんな面倒ごとは本人たちだけで解決して欲しかった。

「原因ってなんだよ」

「ん、じゃあ今から昨日のオレたちのやり取り再現してみせるね」

ファイがユゥイを呼んで向き合う。

「セリフは覚えてる?」

「うん、大丈夫だよ」

「じゃあ黒ぽん、ちゃんと見ててね? 昨日、寝る前にふたりでお話してたんだけど、そのときの会話がこれ」

わざわざ再現するほど複雑な原因なのだろうか。
朝食のコッペパンを片手に、ややこしい推理小説を読む覚悟でふたりを見守った。

「オレたちほんと、今でもそっくりだよね。ちょっとだけ、入れ替わったりとかしてみたいねー」

「そうだね」

そしてふたりは窺うように黒鋼を見た。
まだ続きがあると思って何も言わずにいたが、ふたりとも一向に口を開かない。

「……終わりか?」

「うん」

「終わりかよ! 再現するほどの長さじゃねぇだろ! しかも弟は相槌しかしてねぇじゃねぇか! それくらい口頭で説明しろ!」

一気に怒鳴り散らすと、ファイが不満そうに力のない口笛もどきを吹いた。

「だってー、黒みーには言葉で説明しただけじゃわかんないかなーって思って」

「馬鹿にしてんのか!」

「うん!!」

「てめぇ!!」

思い切り机をたたくとユゥイがまぁまぁとなだめに入った。
本当はこいつにも怒鳴りたいところだけれど、なんとか我慢して椅子に腰掛けた。
その間にファイが勝手にコッペパンを食べていたが、もう怒るのも面倒だった。
ユゥイが黒鋼の正面に座って、隣にファイを座らせる。

「ファイは混乱して気が立ってるんです。許してあげてください」

「気が立ってるって、猫か何かかよ」

「天使です」

「うるせぇ」

またまた勝手にジュースをついで飲んでいる天使、もといファイは腕を組んで深刻な顔をする。
顔はユゥイだから、ようやく彼らしい表情になった。

「困ったなー。どうしよう」

「原因が本当にさっきのやり取りなら、もとに戻りたいって言えばいいんじゃねぇのか」

「そんなのもう試したよ。パターンT-21くらいまで試したよ」

「不屈の精神だな」

時計の針はちょうど7時40分をさしている。
家を出るにはまだ早いが、ゆっくりしているほどの余裕もない。
とにかくここまできて彼らがネタ晴らしも何もしないということは、本当に入れ替わってしまったのだろう。
普通に考えれば非現実的だし、精神病を疑わなければならないところだが、堀鐔学園に勤めているというその理由だけで何事も信じざるを得ないのだ。
例えば生徒のモコナたちがそのひとつだ。

「今日はユゥイは学校来ない日だったよね?」

「うん。でもファイは授業あるんだよね?」

「それなんだよねー。ユゥイ、代わりにできない?」

「できるわけないよ……化学記号だってアルゴンくらいしかわかんないし……」

なんでよりによってそんなマイナーなものを、と言いたかったが雑談をしている暇はない。
本人らからはさほど重大さを感じないが、このままでは彼らは生きていくのも困難なのだ。
容姿が同じなら、どうにでもできるのかもしれないが。

「とりあえず侑子先生に相談しよっか」

「つーかあの魔女の仕業なんじゃねぇのか?」

「違うよ。今回は侑子先生は全然関係ないよ」

ファイはユゥイの顔でありながらいつもの胡散臭い笑い方をした。

「じゃ、学校行く準備しよう。ユゥイのふりもできないから、今日はスーツにしとこうかな。
 ユゥイもスーツにしなよ、遠くからならオレかユゥイかわからないだろうから」

助けを求めて来たくせに、結局自分たちで侑子に頼ることを決めてしまったことに、少々の苛立ちを感じた。
そうは言っても黒鋼にもこんな事態、どうにもできないのだが。
いっそ楽しむつもりで現状に向き合った方がいいのだろうかと思ったが、一瞬だけファイは不安そうに瞳を揺るがせた。
そして黒鋼の部屋から出て行こうとしたファイは振り返って言った。

「黒様、オレがファイだからね」

光の加減のせいか、ユゥイの顔であるためか、ファイの目は暗く見えた。



「と、いうわけでオレたち入れ替わっちゃったんですよー」

少し早めに学校へ行って、双子に付き添い黒鋼は理事長室へ直行した。
途中で誰ともすれ違わなかったのは果たして偶然か。

「ふーん……って言われても、同じ顔だとよくわからないわねぇ」

「頭の中は大違いですよ」

双子の話を侑子は面白そうに聞いた。
本当に今回のこととは無関係らしく、なんでこんなことになったのかしらと首をひねった。

「ていうか、おかしいわ」

「何がです?」

「この双子が入れ替わったって、どうにでもごまかせるじゃない。何で黒鋼先生と入れ替わらないのよ! セオリーでしょ!?」

侑子が立ち上がってびしっと黒鋼を指差す。

「俺を巻き込むな!」

「満面笑顔の黒鋼先生が見たかったわ……」

勘弁してくれとうなだれる黒鋼の隣で、律儀にユゥイがすいませんと謝った。

「で、どうしたらいいかしらね」

「オレ、白衣着てたら誤魔化せそうですか?」

「どうかしらねぇ。けっこう鋭い子が多いし。ね、黒鋼先生」

「たいていは誤魔化せるかもしれねぇが、不審に思う生徒がいてもおかしくねぇだろうな」

同じ顔なのになぁ、とファイはユゥイと顔を見合わせた。

「ファイ先生の授業は自習にしときましょう。代わりの先生を手配しておくから」

「ご迷惑おかけしますー」

申し訳なさそうなファイに侑子は笑いかけ、あたしも解決法探しに協力するわと言った。
双子もそうだが、黒鋼もたいして心配していないのは侑子がいれば何とかなるだろうと思っているからだった。
全てを頼ってしまうわけにはいかないが、彼女なら必ず助けてくれる。
反面、こんな非現実的なことが起きたのは彼女のいる学園に勤めているせいなのではとも思ってしまう。

「それじゃあ、体が変わって大変かもしれないけど、頑張ってちょうだいね」

こうして、あまり変わり映えのない、平和と言えば平和な入れ替わりの1日が始まった。


続く