空間的狼少年

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1・闘争への力
不良高校生パラレル

悪いことをしようと思ってこんな風になったんじゃない。
あれをしなさい、これをしなさい、疑問は持たずに従いなさい、これが善というものなのですよ。
そう言う教師たちを嫌って反抗していたら、いつの間にか「悪い子」扱いされていた。
一度そうなればもう二度と「良い子」には戻れない。
母は嘆いた。小さい頃はあんなに「良い子」だったのに、と。
父は呆れた。反抗期もそろそろ終わりにしろ、と。
けれど黒鋼は誰の言うことも聞かなかった。
自分は何に反抗しているのかと少し真面目に考えてみたら、たぶん世界そのものなんだろうという結論が出た。
だから誰に従うこともできず、向かってくる大きすぎる力に声を荒げて叫ぶことしかできない。
ぜんぶ壊れてしまえばいいと思ったりもしたが、それは自然の力によってでなくてはならないから、きっと自分が生きているあいだには
実現しない。
うんざりして、死のう、と思ったことはない。そんな降伏は反吐が出るほど嫌いだ。
かと言って絶対者になろうなんて思ったこともない。
偉そうなことを言ったって、黒鋼は親の財力で生かされているだけの、ただの学生でしかなかった。
どんなに思考を重ねようと、どんなに糾弾しても、現実的には毎朝学生服を着て学校に行き、常識を学ばなければならない子供だった。
そしてそんな態度だから学校では早くから孤立して、よりどころはどこにもなかった。
安らぎとは心臓が止まったときにこそ得られるものなのか。
今は惰性で朝と夜が過ぎるのを待っているだけだ。
地面が割れるのを待ちながら、星が降ってくるのを待ちながら、誰もが安らぎを得られるときを待ちながら。
厚ぼったい灰色の雲ばかりを探しては、俺が生きている場所はそういうところだ、と誰にでもなく訴えていた。

「歯向かうべき対象がどこにもないことは、知ってる」

絡まった細い金糸を指で撫で付けながら、彼は言った。
廃墟となった工場の片隅で、広い空間の隅っこで、彼は黒鋼を見下ろしていた。

「どこにもないけど、そこにある。だからこうして代わりに見えるものに歯向かってる」

蒼い瞳ははじめて見る色をしていた。とてもきれいな宝石のような。
彼は握り締めていた血の滴るこぶしをゆっくり開くと、ぞんざいに服でぬぐった。
付着している血は全て黒鋼のものだった。
彼に殴られたところはひどく痛んだ。鉄パイプなんて、卑怯な凶器を使いやがって。

「これで勝った気になってるんだ。君にじゃないよ、誰でもないんだ」

肩で大きく息をする彼は疲れた、と言って、頭を殴られたせいで倒れている黒鋼の隣に座り込んだ。

「君はどうする? オレは君に勝ってはいないけど、君はオレに負けた」

胸の内に渦巻くのは赤黒い屈辱と、虎模様の闘争心だった。
力の入らない腕に無理やり力を入れて上半身を起こした。
一瞬だけ警戒した彼の顔を覗き込む。陰になったダークブルーの瞳がぎょろりと動いて黒鋼を見据えた。

「このままで終わる気はねぇ。おまえの勝ちたい相手なんてものは、どうでもいい」

こんな声は今まで出したことがなかった。こんな楽しそうな声なんて、知らない。

「俺の勝つべき相手は今、おまえになった。最低のやり方で、無様に泣かせてやる」

彼は目を細めて挑戦的に笑った。
初めて、現実の中に生きている気がした。


2・メビウストンネル
現代パラレル。DV注意

「悪かった」

黒鋼はこういうとき、ほんとうに反省している表情をする。
彼はファイみたいにその場に合わせて顔を変えるなんてことはできないから、ほんとうに心から悪かったと思っているのだとわかる。
だからファイは笑ってあげる。

「いいよ」

殴られたところは痛い。
口の中が切れて、さっきから血の味がしているけれど、気にしなければいいだけのことだ。
蹴られた腹も、引っ張られた髪も、体の痛みはすぐに治ってしまうのだから。

「おまえが、他の奴のところへ行ったんだと思った」

「行くわけないよ」

今日の黒鋼の暴力の原因は、ファイが出かける前に告げた帰宅の時間に帰ってこなかったことだった。
電車が人身事故で止まってなかなか動き出さなかったため、予定よりも40分ほど遅れてしまった。
そのうえ携帯は充電が切れてしまい連絡もできなかったのだ。
玄関に入ると説明する間もなくファイは黒鋼に怒鳴られ、殴られた。
聞いて、と何度も訴えたが無駄な叫びだった。

「もう、嫌になったか」

「なにが?」

「俺といることが」

「ならないよ」

ソファにしがみつくようにしていたファイは、正座をしている黒鋼の膝に手を置いた。

「なにをされても、嫌いになんてならないよ」

ファイの手を黒鋼が握り締めた。
黒鋼の手には、昔やんちゃしていた頃に作った傷跡がある。
痛む体を動かして膝立ちになり、黒鋼の大きな体を抱きしめる。
あつくて、さみしい体だ。

「いてあげる。君に捨てられるまでは、ずっとそばにいてあげるからね」

捨てるものか、と黒鋼ははっきりと口に出したが、信じるつもりはない。
信じるつもりはないが、ファイは黒鋼を無条件的に信頼していた。
こんなやりとりも、もう何度目か知れない。
何度も何度も同じことを繰り返してふたりとも全く学習しない。
でもそうしている間は出口も終止符もないから、ファイはずっとこんな時間が続けばいいと願っていた。

「君がこのまま堕落して、みんなに見捨てられて、孤独になってしまえばいいのに、ね」



3・魚の夢
洋風パラレル。18〜19世紀くらい

嵐の過ぎた次の日の昼、海は嘘のように穏やかだった。
あれほど荒れ狂っていた波は一定のリズムで引いては寄せる。
遠くの地平線は陽光に消し取られ、もう上も下もわからない。
黒鋼は片手で強い日差しを遮りながら浜辺へとおりて、深いため息をついた。
一昨日の父親とのやり取りが、何度も彼を苛立たせるのだ。
父親は黒鋼を理解しようとしなかったし、黒鋼も父親を理解しようとしなかった。
別室ですすり泣く母親の押し殺した声でさえ、黒鋼の心を不快にさせるだけだった。
家を飛び出した黒鋼は昨日は友人の家に泊まったが、今日もまた世話になる気はなかった。
もう誰かに頼ることはしたくない。
しかし自立の意志ばかりが先立って突発的に家出した黒鋼には行く当てもない。
おそらくのたれ死ぬこともできはしないだろう。
今も町では多くの召使が黒鋼を探している。
今日はどこへ身を隠せばいいか、ともう一度ため息をついたところで、視界の片隅に金色が見えた。
なんだろうとそちらを向いてみると、驚いたことに、浜に人が倒れていた。
金髪の、おそらく男だろう、砂にまみれた裸の男がうつぶせに倒れているのだ。
死体だ、とはっきりと思った。
昨日の嵐で死んだのだろうか、それとも海賊に身ぐるみ全てはがれた貴族だろうか。
黒鋼は戸惑った。
自分では自分を勇敢で正義感のある人間だと思っていたが、いざそれらが試される状況になるとためらってしまう。
見ない振りをしろ、と心の中の誰かが叫んだ。
一歩後ずさり、ゆっくり死体から目をそらしていこうとすると、死体が突然顔を上げた。
その衝撃に尻餅をつきかけるのを何とか足を踏ん張ってこらえた。

「あ……人間だ……」

死体は掠れた声で黒鋼を見て言った。
まるで自分は人間ではないかのような物言いに、黒鋼はさっき以上に逃げたいという気持ちが強まっていた。

「ね、人間でしょ? オレ、あのね、海から……うわぁ!?」

死体が緩慢な動きで起き上がろうとしたとき、顔面から砂浜に崩れ落ちた。
声をかけるべきか、助けるべきか黒鋼は迷った。
弱っている人間がいるからといって全てを助けることだけが正義ではないのだ。
死ぬべき人間は抗わず死ななければならないし、抗ったところで敵う相手でもない。

「あれー? 立てないよー?」

砂まみれになるのも構わず彼はごろごろ転がりながら何度も立とうと試みた。

「おかしいなー、足はあるのになー」

嵐の海に飲まれて気が狂ったのだろうか。
黒鋼は悩んだ結果、手を貸すことにした。
助けるべきはまず隣人からだ。

「つかまれ」

転がったままの男に手を差し出すと、男は嬉しそうに黒鋼の大きな手に縋った。
しかし力の強い黒鋼が引っ張り上げてやっても男は自分の力では立てなかった。
力の入れ方がわからない、と言う。

「オレ、昨日まで海で暮らしてたからなー。やっぱりそう簡単には立てないかー」

「海でって……おまえ海賊か?」

「違うよ、人魚だよー」

「…………海賊か?」

「人魚だってばー」

もう一度確かめてみたが答えは同じだった。
黒鋼は彼を貴族か海賊かと予想していたが、まさか人間ですらない答えを返されるなんて思ってもみなかった。

「人魚だけど泳げなかったから、人間にしてくださいってお願いしたんだよ」

黒鋼の両腕にしがみついたまま全裸の男はにこりと笑った。
砂にまみれているが、きれいな顔をしていた。

「人魚のくせに泳げなかったのか」

信用する気は毛頭ないが、この男が哀れに思えたので話に乗ってやることにした。
頭ごなしの否定は良くない、それは黒鋼も身をもって知らされていた。
男は顔に張り付いた金の髪をうっとうしそうにはらった。

「うん。泳げなかったからいつも昆布を体に巻いて流されないようにしてた」

「ラッコみてぇだな」

「えへへー」

なぜそこで得意げな顔をするのかわからなかったが、笑った顔は無邪気でかわいらしいものだった。
年の予想はできないが、黒鋼よりも年上のようだ。
きっとこの嵐で乗っていた船が難破して、さらに不運にも海賊に襲われ身包みを剥がれ、海へ捨てられ気が狂ってしまったのだろう。
哀れなことだ、自分を人魚なんてものだと思い込むなんて。
黒鋼はこの男がかわいそうでしかたがなくなった。
記憶もなく帰る場所もないだろう男の境遇が、自分のものと重ねられたのだ。
孤独が和らいでいく感覚が心地よくて、つかんだ腕に知らず力をこめていた。


4・つながり
日本国永住

「おまえの世界は孤独だ」

「そんなことないよ、君と一緒なんだから」

「結局、誰も信用してないんだろう」

「少なくとも君のことは信用してる。だからここに来たんだ」

「嘘が染み付いて取れないのか」

「染み付いた嘘は本当になるんじゃない?」

「いつまで待てばいい」

「君がそのままなら、待つのは無駄だ。信用してないのは君の方だもの」

「俺を信用しないおまえを信用する気はない」

「オレも同じ」

秋晴れの下にて


5・黒髪のひと
原作。ファイ→アシュラ王前提

奴が誰にでも、特に女に優しいのは知っていた。
それだけならそんな光景を見るたびに鼻で嘲笑っていられたが、あることに気付いてからは笑えなくなった。
あの魔術師は大きな差はないが、長髪の、殊に黒髪の女を贔屓している。

「髪が長いのが好みなのか?」

「んー?」

「特に、黒髪の」

「・・・んー、そうだなぁ。どっちかって言われたら、好きなのかもー?」

あるとき聞いてみたら、そんな曖昧な答えが返ってきた。

「でも同じ黒髪でも、黒るーのは違うなぁー」

そんなことを言いながら空ろな目で俺の髪に触れた。

「全然違う」

「誰と比べてんだ」

「髪伸ばしなよ、似合うよ」

「それで誰かの代わりにすんのか」

「あーでもやっぱり違うなぁ。さっきのナシ、伸ばさないで」

言われなくても伸ばす気なんてない。
誰かと比較されていることへの怒りと、こいつが唯一求める誰かの代わりにすらなれないことへの虚しさで、少し自分の髪が嫌いになった。



END