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空間的狼少年

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タルトの記憶

立派なアーケードのある商店街のショーウィンドウの中できらきらと映える菓子類の数々を見た瞬間に、ファイは呼吸をすることさえ忘れてしまっていた。
もともと甘いものは好きだから甘味に興味を引かれるのはよくあることだけど、ガラスの中にあるお菓子には見たことのない色とりどりの果物が乗っているし、
かわいらしくクリームがデコレーションされていて、切り口からやわらかいスポンジと赤い果物の層が幾重にもなっているのが見えて、中心にはちょこんと
小さな葉っぱがくっついている。
あれを食べないでこの国を出るわけにはいかない、とファイは本来の目的をひとまず余所へ放り投げて慎重に思案する。
この国でのサクラの羽根はすでに取り戻したが、こんなに往来の激しい場所では次元移動もしづらいということで、移動は商店街を出てからにしようと
モコナが先頭に立って歩いていた。
ただ食べたいと言うだけでは黒鋼に反対され無理やり引きずられてこの場を離れることになる可能性がある。
けれど黒鋼よりもずっと大人の自分がお菓子を食べたいと駄々をこねるのもみっともない。
ファイは必死に思考をめぐらせ、この方法しかない、とサクラの肩をそっと掴んで引き寄せた。

「ねぇ、サクラちゃん。おなかすいてない?」

できるだけ自然に尋ねたのが失敗だったのか、サクラは気遣いだと思ったらしく笑顔で答える。

「え? いいえ、大丈夫ですよ」

しかしファイはそうじゃないんだと慌てて質問を変えた。

「次元移動で疲れてない? 甘いものとか食べたくない? ケーキとかマフィンとかタルトとかドーナツとかクレープとかー……」

「ファイ、食べたいの?」

先頭のモコナが振り向いてぴょんとサクラの頭に乗った。

「あのお店でしょ? ファイの好きなものいっぱいあるもんね」

モコナがうふふと笑って指差した先には例のショーウィンドウ。
ばれたか、と苦笑すると小狼がおいしそうですねと感心した声を上げた。
それにつられて黒鋼も店の展示品を見て、少し眉をひそめた。

「ね、食べたいんでしょ?」

モコナに促されてファイがうなずき恐る恐る黒鋼に視線を移すと、黒鋼は面倒くさそうにため息をついた。

「食いたいならそう言えばいいだろ」

「……いいの?」

黒鋼は大またで進行方向を逆にして、さっさと店の方へと向かって行く。
目をぱちくりさせて後姿を見つめるファイの腕をサクラがつかみ、反対の手で小狼の手を取って、モコナを頭に乗せたまま黒鋼の後を追った。
その店は店内にいくつかテーブルが用意されていて、そこで買ったものを食べることができる。
どれにしようかと、はしゃぎながらそれぞれ品物を決め、店の奥のテーブルに着いた。
外を眺めることのできる、日当たりの良い場所だった。

「モコナのチーズケーキ、おいしいー!」

テーブルの上を跳ね回って感動を表現するモコナをサクラが優しく皿の前に戻してやる。
小さい体のわりにモコナは食いしん坊で、小狼からアップルパイを一口分けてもらい、お返しにと自分のチーズケーキを小狼に食べさせた。

「サクラちゃんのは何?」

「ティラミスです」

「おいしい?」

「はい! とっても!」

本当においしそうに食べる少女の笑顔を見ていると、それだけで幸せな気分になった。
ファイは自分のイチゴとさくらんぼの乗ったタルトを食べ、さくさくとした甘い生地とイチゴの少しすっぱい味に陶酔する。
自分でも料理は上手な方だと自負しているが、他人の作ったものほどおいしいものはないと思っていた。

「黒ぴょんのはロールケーキ? なんで緑なの?」

「抹茶だからな」

「まっちゃー?」

首を傾げると、茶の一種だと言われた。
茶と言えば紅茶が基本の世界にいたファイには抹茶がどのようなものなのか分からなかった。
さくらんぼの種を皿に取り出して、隣の皿の上にある緑のクリームを観察する。
しかし見ただけで味がわかるほどファイの目は優れていなかった。

「ねぇ、一口ちょうだい」

「あ?」

隣に座る黒鋼に身を寄せると、黒鋼が口に運ぼうとしていた緑のロールケーキのひとかけらがフォークからこぼれ落ちた。
とっさに黒鋼が手を出してキャッチすると、ファイがその手を掴んだ。

「それでいいや。もらうねー」

大きな手のひらに乗った一口サイズのケーキを舐め取るようにしてファイが口に入れた。
黒りん、まだフォーク使うの苦手なんだね、と言って手を離したが黒鋼はそのまま固まってしまったので、行儀の悪いことをするなと怒られるとばかり思っていたファイは
安心して抹茶の味を堪能することができた。
おいしいね、と告げるとはっと我に返った黒鋼が舌打ちをして自分にくっついたままのファイを片手で押し戻した。

「お返しあげるー。イチゴ食べる?」

はい、とフォークでイチゴを黒鋼の口元に差し出すが、黒鋼はそのまま食べずにフォークを奪い取って自分で口に入れ、フォークを返した。

「そのまま食べればいいのにー」

不満を言いながらも上機嫌のファイはタルトの残りを食べ出した。
正面の席で気の毒そうにその様子を見守っていた子どもたちは顔を見合わせ、今度はアイスケーキも食べてみたいね、と言うファイとの雑談に興じたのだった。

END