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27.「好き」なんて嘘だよ
今朝来たばかりのこの国は寒い、と言うよりは冷たい国だった。
びゅうびゅう冷たくて痛い風が吹いてはいるけれど、雪はぜんぜん降らない土地らしい。
モコナの口から飛び出したとたん、温度差にみんな震えだして、強風から逃れるために羽根のありかはひとまず置いて宿を探した。
毎度やっているように、宿のロビーでオレとサクラちゃんが待機して、小狼君と黒たんとモコナが持ち物を換金してきてくれた。
物の価値はそれぞれの国で全く違っていて、今回の収入はそんなに多くはなかった。
宿で空いている部屋は2人部屋のものしかなかったから、子供と大人にわかれて部屋を取った。
モコナはサクラちゃんの懐に隠れて荷物のふり。
耳が切れるんじゃないかと思うくらい鋭利で冷たい風からは避難できたけれど、木造の建物ということもあって、部屋もずいぶん冷えていた。
一息つくよりも先に暖炉に火をつけて、ドアをぴったり閉めて寒さを防ぐ。
オレは上着を二重に着ているからまだいいけれど、マント1枚の黒様は顔には出ていなくてもさぞ寒い思いをしていることだろう。
2つ並んだベッドの1つに腰掛けて額当てを取る黒様のマントにくっついた紐を引っ張って、寒そう、と告げた。
「寒いなら上着貸してあげるから言ってね?」
「別にそこまで寒くねぇよ。俺に貸すくらいなら姫に貸してやれ」
「わーやさしー」
「うるせぇ」
関係ないって言ったくせに、旅の仲間を気遣うようになった彼を、羨ましいと思う。
それは全部知った上で優しくしようとしているオレの卑怯な考えとは正反対だから。
真っ黒で堅苦しい衣装を緩めた黒るーは暖炉の具合を調整したあと、部屋を出て行こうとした。
どこ行くのと聞くと、モコナに羽根について聞いてくると言った。
ぶっきらぼうだし、行動も大胆で雑だけれど、彼は律儀だ。
それをオレは食事中、皿に乗ったものは欠片も残さず全部平らげる彼の様子から見出していた。
窓際のベッドに乗っかって外を見ると、行き交う人はみんな寒そうに下を向いて、胸元で両手をこすり合わせていた。
どの木にも葉っぱはひとつもついてなくて、細い枝が頼りなさそうに強風に煽られ揺れている。
寒そう、と呟くと、その息で窓がふっと白くなった。
そういえば、セレスに行ってからはよく窓の結露で落書きをして遊んだものだ。
成長してからはただの厄介なものでしかなくなり、必要に迫られ結露を防ぐ魔法を覚えたのだけれど。
黒たんまだ戻ってこないな、と考えながら腹の底からそっと息を吐き出して窓を染める。
まだ? と指で文字を書いてみるけれど、これはオレ以外の誰にも読めないものだ。
すると文字ならば何でも言えてしまえる気がした。
でもそれは事実にするということだから、余計なことは心の奥でなかったことにしてしまえるように、黙っておく方がいいのだろう。
だけど、それでも、誰も見てない今なら、何を言ってもいいのかもしれない。
許されるわけではないと知っているけれど、自分の中だけで完結するならば発生していないも同じだ。
黒たん、と小さく窓に文字を書く。
普段は言葉だけでしか使わないから、文字にしてみると見慣れなくて奇妙な感じだ。
それからもうひとつだけ、恥ずかしくなる言葉をひとつ、隣に書いてみる。
その2つは文字で見ると相反するのに、オレの認識の内ではほとんど同義の言葉だ。
誰にも読めない、知られない、孤立した仲間はずれの。
でも見ているだけで満足感と悲しみに胸がざわめき、羞恥に頬を熱くさせた。
「なに窓に落書きなんかしてんだ」
いきなり耳元で声をかけられ、飛び上がって驚いた。
「いきなり近くで喋らないでよ!」
「ドアの音で気づいてると思った」
少しだけ申し訳なさそうに黒様は目線をそらした。
けどすぐに窓の文字を指差して、何の絵だ、と問うた。
「絵じゃないよ、これはオレの国の文字」
「絵みてぇだな。なんて書いてるんだ?」
その言葉にオレは現場を見られた犯罪者のように固まった。
そしてそれはたぶん、あながち間違っていない。
「これ、は、嘘って、書いたんだよ」
口の中が乾燥していて、唇がくっつくので上手く喋れない。
オレの焦りに気づいた黒わんこは眉をひそめてオレの目をじっと見た。
絶対に読まれることはないとわかっていても恐ろしくて、急いで窓の結露を上着の袖でふき取った。
「嘘つきがわざわざ窓に嘘なんて書いてんのか」
「そうだよ、オレは嘘つきだからね」
「それすらもか?」
「そんな矛盾は問題にはならないよ」
これ以上何を聞いても無駄だと理解したらしい黒りんは、羽根はこの国にはないから、明日にはここを出ると言った。
じゃあ今日はゆっくりできるね、といつもの笑顔で応じると、もう彼はこっちを見てくれなくなった。
それならばいっそ、文字を読んでくれればよかったのに。
でも読まれたところでやっぱりオレは全部嘘にしてしまうだろうから、こんなことはオレの中だけで曖昧に存在していればいい。
寝転がって毛布に潜り込んでいる間に羞恥も苦痛も消えて無くなるだろう。
End