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離反 ※事後注意 静かな村の静かな宿は、何一つ音がしなかった。 改装したばかりだと宿の旦那は自慢げに話していたが、言われなければ古くさい宿だと口に出してしまっていただろう。 体の大きな黒鋼には少し小さいと感じるベッドをさらに狭くしているファイは黒鋼の隣で静かに眠っていたが、しばらくすると 伸びをして起き上がった。 ファイの青白い肌がカーテンのない窓から入る月明かりに照らされて、不気味な影をつくった。 細い体だとは思っていたが、直に見ると、細いと言うよりは痩せていると言う方が適切だと思った。 けれどそのしなやかさを黒鋼は悪く言うことはできない。 ファイはだるそうに絡まった後頭部の髪をとかし、今気づいた、とでもいうように寝転がっている黒鋼を見下ろした。 そしてにまりと笑うと、黒鋼の上に乗っかるようにして裸の肌を合わせてくる。 邪魔だと不満を言っても笑うばかりだ。 ファイは行為のあと、いつもこうして演技めいた笑いで黒鋼に擦り寄ってくる。 「君じゃないんだよね」 くるくると喉で笑い声をたてて黒鋼の眉間の皺を伸ばす。 そうしたって、そんなことを言われたら皺は濃くなるばかりなのに。 慈しむような優しさを孕んだ指先で黒鋼に触れて、それがファイの持つ本来の優しさではないことをわざと伝える。 さっきまで黒鋼が触れて抱いた体は、確かにファイだったのに。 「オレがこうして寄り添いたいのは、君じゃない」 甘えた声で黒鋼のまぶたに唇を落とす。 わずかに汗のにおいが香り、暴力的な部分が目を開ける。 「誘ってきた奴が何言ってんだ」 「ふふ、それとこれとは別だよ」 「なら抱かれたいのは俺ってことか?」 「思い上がるのは良くないねー」 細い腰に腕を回すと、もうしないよと釘を刺された。 「オレのそばにいて欲しいのは君じゃない。オレがそばにいたいのは君じゃない」 自分に言い聞かせるような口ぶりに、ぴたりと閉じられていたはずの扉の向こうを見た気がした。 暗がりの中では蒼い瞳は黒と同化し、支配される。 それは弱さによるものではなく性質によるものだ、ファイがどうこうできるものでもない。 「こんなところになんて、いたくないんだ……ここはいちばん居心地が悪いよ」 黒鋼の上でファイは従うように目を閉じた。 何を聞いても話しはしないだろうが、今夜の黒鋼はいつもよりも少し強くファイに興味を持っていた。 どれほど関係ないといっても、興味がないといっても、繰り返されれば疑問を抱く。 それに最初に関わりを持とうとしてきたのはファイの方だ。 「おまえはどこに行きたいんだ?」 「……どこでもいいよ」 「どこでもいいなら、ここでもいいだろ」 「ここは嫌なのー」 身じろぎしてファイは頬を黒鋼の胸にこすりつけた。 駄々をこねる子供のようなしぐさに、わずかに目を細めた。 「連れて行って欲しいのか」 「…………」 「自分では行けないから、誰かに、連れて行って欲しいんだろ?」 その言葉に、自嘲気味に笑うとファイは黒鋼の上から退いて、おとなしく隣のベッドへと戻っていった。 急にぬくもりが消えたつめたさに、黒鋼は掛け布団を引き寄せた。 放ってあった服をいくつか身につけ、ファイは何も言わず布団に入る。 「どうせおまえは否定しかできねぇよ。寄り添いたいとも、連れて行って欲しいとも言えねぇんだ」 「もう黙ってよ」 「俺に期待してんだろ。君じゃない、なんて言いながら。だから俺に抱かれにくるんだろ?」 「うるさいってば。寝るから静かにして」 すっかり不機嫌になってしまったファイは頭から毛布をかぶって拒絶を示した。 これ以上は何を言っても無視されるだろう。 明日にはこのやり取りもなかったことにしてしまう気だろうが、本当に無かったことになどできはしない。 布団の塊に向かって黒鋼は苛立ちを言葉に代える。 「言えるもんなら言ってみろよ。じゃなきゃおまえは一生どこにも行けねぇぞ」 ぴくりともしないファイが考えているのは、やっぱり否定の方法だろう。 何も受け入れられないくせに欲しがってばかりの臆病者を連れて行く者なんて、いったいどこにいるだろうか。 他に誰もいはしまい、それをファイも気付いているはずだ。 静かな夜は静かに朝へ向かう。 朝と夜はどちらが先だっただろう。 END
配布元 エソラゴト