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空間的狼少年

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※学パロ	

懐かしき少女の血 


私が彼女と出会ったのは入学式の朝だった。
天気はあいにくの雨。みんな緊張した顔で母親の隣に座って講堂で校長の話を聞いていた。
私も母に連れられて、新品の制服を着て、背筋を伸ばしていかにも優等生という顔をして話を聞いた。
第一志望で受かった高校だけど、中学の頃からの友達は誰もいない。
不安はある。でも私は高校へは勉強をしにきたのだから、友達なんて出来なくてもいいと思っていた。
私はぜったいに、『りっぱな』大人になるのだ。
周りにいるような幼稚で遊ぶことばかり考える子どもとは違うのだから。
そんなことを考えているうちに入学式も終わりに近づいてきた。
新入生の代表の挨拶をしたのは、真っ白な長い髪に赤いリボンをたくさんつけた女の子だった。
なんて子だろう、と思った。
緊張する様子もなくすらすらと暗記した文章を言い終わると、プログラムが終わった機械のように壇上から降りた。
きれいな炎みたいな声がその日ずっと耳から離れなかった。


その子の名前は藤原妹紅といって、よく知らないけれど有名な家の娘らしい。
でも私と同じクラスになった藤原さんはほとんど学校に来ない。
もう5月も終わるというのに顔を見たのは数えられる程度だ。
最初は真面目な子だと思ったのにまさか不良だったなんて。
みんなそんな話をしていたけれど、やがて誰も藤原さんの話をしなくなった。
私は最初の実力テストでトップを飾り、先生に褒められみんなからも尊敬されるようになった。
そのことは気分が良かったが調子に乗ってはいけないとわかっている。
こんな中学の復習みたいなテスト、できて当然なのだから。
今度の中間テストにむけて私は放課後も学校の図書室で勉強することにしていた。
一年生のうちから熱心ね、と先生は感心していた。
だけど高校って勉強するために来たんじゃないのか、と私は思う。
それから梅雨に入ったころ珍しく藤原さんが学校に来た。
昼を過ぎて堂々と教室に入ってきて先生に苦笑されていた。
あの子はもう諦められているとみんな感じてきていた。
私とはぜんぜん生きる世界が違うから関わることもなく卒業するのだろうと思っていた。
けれどその日、藤原さんが図書室にやってきた。

「あれ、ええっと、上白沢さん?」

扉を開けてびっくりしたように私の顔を見て言った。
私もこんなところで藤原さんと会うことにも、名前を覚えられていることにもびっくりした。
二人でびっくりしたままでいると藤原さんが笑って中に入ってきた。
この学校の図書室は狭いから利用者も少なく、私以外に人がいることはほとんどなかった。

「上白沢さんは勉強?」

「慧音でいい」

「けいね?」

「苗字、長いから」

そう言うと、じゃあ私も妹紅で、と藤原さんは言った。

「勉強かぁ、中間テストの?」

うなずくと妹紅は嫌だなぁとため息をついた。
本棚を眺め、本を手にとってはぺらぺらめくり、また本棚に戻す。

「何か探してる本があるのか?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

あいまいに笑って私の座る正面に腰掛けた。
彼女は同学年の誰よりも大人びた顔をしている。
毎日遊んでばかりのあの子達のしまりのない、だらけた子供らしい顔とは違う。
思慮深い、賢いひと。彼女を正面から間近で見てそう感じた。

「父さんが本読めってうるさくて」

困ったように笑って妹紅が適当に取ってきた本を開く。
新しくて短い小説を選んだようだった。

「ごめん、ここにいると勉強の邪魔になるかな?」

「そんなことは……」

「じゃ、ここで読んでも?」

いい、と言うと嬉しそうに笑って静かにページをめくった。
夕日を背景にした彼女は浮世離れしていて、そのまま昔の日本の絵に出てきそうだった。
どうして学校に来ないのかと聞いてみたい気がしたけれど彼女は読書に集中しているからやめた。
また今度、聞いてみればいい。
その日は見回りの先生に帰れと注意を受けるまで、二人で図書室にいた。


それから妹紅はまたしばらく学校を休んだ。
中間テストも欠席して、追試を受けたのかどうかも知らない。
あの子留年するんじゃないのとクラスのみんなは噂している。
出席日数も足らなくなるだろうから、私もそうだろうと思った。
でもあの日話をした彼女はぜんぜん不良なんて感じじゃなくて、むしろ私と同じようなタイプなんじゃないだろうか。
どうして学校に来ないんだろう。
そろそろ期末テストが近づいている。
また来るかなと、どうしてだか私は彼女に会えることを期待していた。


「いつもここで勉強してるんだなぁ」

期末テストの始まる一週間前、妹紅が再び図書室にやってきた。
その声が聞こえたとき私は弾けたように顔を上げて、本当に彼女が目の前にいることに感動した。
真っ白な長い髪にはいつも赤いリボンがついている。

「久しぶり」

のんきにそんなことを言う妹紅が本棚の方へ向かった。
授業には出なかったくせに何でわざわざ放課後にやって来たのだろう。

「どうして学校に来ないんだ?」

振り返って妹紅に問うと、妹紅は何も言わずに本棚の裏側へ行ってしまった。
言いにくいことだろうとはわかっているけど答えを聞かないまま前にみたいに会えなくなるのは嫌だった。
また短い本を選んで私の前に座った彼女をじっと見つめて答えを促すと、参ったというような表情で妹紅は言った。

「家で、ちょっといろいろあって、学校に来づらくて」

それだけ言うとこれ以上は話すつもりはないというように本に目を落とした。
家の事情で学校に来れないなんて、私には考えられないことだった。
私も両親もまず学校へ行くことが一番と考えているから何があっても学校へは絶対に行かせてくれるはずだ。
図書室のクーラーは効きが悪くて稼動音がうるさく響いている。
少し暑いと感じたが目の前の彼女は涼しい顔でゆっくりページをめくっている。
このあいだ知ったことだけど、彼女は本を読むスピードが遅い。
でもそれはたぶん、読解力がないのではなくて、言葉のひとつひとつを大事に読んでいるからなのだろう。
きっと今、彼女の頭の中では鮮明に小説のシーンが描かれているに違いない。
彼女のことは何も知らないけれど彼女はそういう人なのだろうと何となくわかる。
今日も誰も図書室にはいなかったが、しばらくして三年生と教師が扉を開けて入ってきた。
いくつか教材を持ったまま初老の教師は私を見て、それから妹紅を見て嫌そうに顔をしかめ、やっぱり多目的教室に行くと
言って教師は三年生を連れて出て行った。
なんだ、あの態度は。
私は露骨な教師の嫌悪に憤慨したが、妹紅は寂しそうに笑うだけだった。
そして前と同じように見回りの先生に帰るように言われ席を立った。

「明日は来るか?」

「たぶん、来ない」

「どうしてだ?」

「どうしても」

ごめんと言って妹紅は本を棚に戻しに行った。
私は不満いっぱいにノートや教科書を片付けた。
そのときにあまりに納得がいかなくて、ノートをしまうときに指を紙で切ってしまった。

「痛っ……」

「慧音?」

大丈夫、と言う前に妹紅が私の切った指を取ってその血を舐めた。
驚いて体を引くと妹紅はいたずらが成功した子どものように笑った。

「吸血鬼みたいなことするな!」

ごめんごめんと全く悪びれない彼女の背に怒りをぶつけ、まだ明るい道を二人で帰った。
蝉のうるさい並木道を下って、国道に出たところで別れた。
いつまでも指に残った彼女の舌の熱さは消えなかった。
そして次の日、やっぱり妹紅は学校に来なかった。
無遅刻無欠席で卒業する予定の私は次の日もその次の日も学校へ行って、ひとりで図書室で勉強した。
この扉が開いて、あの白いきれいな髪が見えるのを期待しながら。


「もうこれで、学校に来るのは最後」

夏休みが始まる前の日、妹紅は私の前に現れた。
もちろん彼女は終業式には出ていない。

「……決まったことなら、しかたない、けど」

「けど?」

「もっと話したかったな、妹紅と」

日陰でも汗が垂れるくらいに暑い日々が続いている。
体育館の隣の大きな木の日陰で座り込んでいたら、地面にいくつも額から雫が落ちた。
じわじわと耳に痛いくらい鳴き続ける蝉の下で静かに二人で座っていた。

「いつかまた会えるさ」

薄っぺらい言葉を吐いて妹紅が立ち上がり道路に面したフェンスに手をかける。

「あーあ、暑いなぁ」

蝉にも負けない大きな声で妹紅は叫んだ。
夏休みが終わって学校に来ても、もう妹紅には会えないということにまだ実感がない。
笑いながら、ふらりと図書室に現れるんじゃないかとこの期に及んで期待している。
制服をほとんど着なかったのがもったいない、と嘆く妹紅の表情はこちらからは見えない。
他にも何か不満をこぼしているが核心めいたことは何も言わない。
本当は、誰かを憎んでいるんじゃないかと、そんな気がした。

「あっ」

とつぜん妹紅が短い悲鳴を上げた。
急いでそちらに向かうと、破れたフェンスの先で手の甲を切ったようだった。
赤い血を見た私は以前の妹紅の行動を思い出し、反射的に彼女の手を取り傷口に舌を這わせていた。
うわぁ、と情けない声で妹紅は手を引っ込めようとしたが、私は強く手をつかんだまま彼女の血を舐めた。

「慧音! いい加減に……」

本気で怒られそうだったので手を離すと、彼女は赤い顔でぎゅっともう片方の手で傷口を隠した。
その姿を見て、自分がしたことが恥ずかしくなって頬が染まるのを感じながらうつむいた。
このあいだの仕返しをしてやろうと思っただけなのに、なんだか不思議な気持ちになった。
気まずい空気を破ったのは妹紅で、そろそろ迎えがくるからと言って私に手を振って行ってしまった。
大人びているけれどまだまだ子どもらしく驚いたりするんだと思うとなんだか嬉しくなった。
彼女との終わりがこんなだなんてと思うと羞恥に頭を抱えるが、これならきっと、忘れずに覚えていられるだろうとも思った。
あの大人びた顔も、雪原みたいな髪も、どこにでも馴染む自然な声も。



それから私は熱心に勉強して、無事志望校に受かった。
教育学部で小学校の先生になるつもりだ。
毎日、あの図書室で、扉が開くことを期待しながら勉強していた。
その努力の甲斐あって国立の大学に受かり、両親も教師も喜んでくれた。
私も自分の番号が張り出されているのを見て泣いて喜んだ。
これから一人暮らしの準備をして、大学で大変な日常を過ごすことになると考えると焦りばかりが生まれた。
何から始めればいいか何もわからなくて混乱して、嬉しいのに不安でベッドに倒れこんだ。
だけどそんなときでも、あの日彼女が舐めた指の熱は消えていない。
どんなに美味しいものを食べても、あの日私が舐めた彼女の血の味も消えていない。
そしてきっといつまでも消えずにあるのだろう。
もう一度彼女に会えるまで、この熱と味を刻んだ体で、私は輝かしい未来を生きるのだ。
あの薄っぺらい言葉が妹紅の本心であって欲しいと願いながら、彼女のいない暮らしの中を、ひとりで。

End
リクエストの「学パロもこけね」でした