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教師と生徒の一週間 月曜日。朝。 「早起きって、起き上がるまでは辛いけど新鮮な空気が爽快だよねー」 「わたしも早起きは苦手なんですけど、こうして外を歩くと気持ちいいですよね」 にこやかな会話。 遅い足取り。 「でも毎日毎日この時間に起きる黒様先生はやっぱりすごいと思うなぁ」 「ですよね。小狼君も朝からあんなに体を動かすなんて、すごいです」 「一緒に登校しようと思ったのに、ちょっとだけ寝坊しちゃったよー」 「わたしもなんです。あと10分早かったら間に合ったのに」 少し霧っぽい湿った空気のなかで、ファイとサクラが並んで学校を目指している。 決められた登校時間よりもずっと早い時間だから、周りには少しの生徒しかいない。 その生徒も、用事があるためにこの時間に登校しているので、のんびり歩いているファイとサクラをさっさと追い越して急ぎ足だ。 小鳥のさえずりが聞こえるのどかな朝、二人はこれからの授業のことなど忘れてほんわかと談笑している。 「もう朝練始まってるよねー。ちょっとだけ覗きに行くー?」 「えぇっ。でも、邪魔じゃないでしょうか?」 「大丈夫だよー。オレ、よく邪魔しに行ってるしー」 それはダメだろう、と二人の少し後ろを歩いていた生徒が思ったが、誰の心にも届かなかった。 「じゃあ、ちょっとだけ」 「小狼君の部活姿かっこいいもんねー」 「えっと、あの、はい、かっこいいです……」 「でもねー、黒たん先生もかっこいんだよー! カリスマっていうの!? あんな風に指導されたらどんな卑劣な命令でも従っちゃうよー!」 卑劣って。 後ろの生徒は突っ込みながら、どうしてこんな爽やかな朝から他人の惚気話など聞かねばならぬのかと、少し足を速めた。 「今日は何の朝練してるのかなぁ。誰もこの辺り走ってないし、体育館か剣道場かな?」 「昨日、小狼君が今日は野球部の朝練が無いから、グラウンドだって言ってました」 「そういえば、黒りん先生も今朝、そんなこと言ってた気がするなー」 今朝? 斜め後ろまで来た生徒は浮き上がる矛盾点を疑問に思ったが、追求してはいけないとして頭を振った。 「よく頑張るよねー。昨日も練習あったんでしょー?」 「はい。試合が近いから、力を入れてるんだと思います」 「日曜日なのに一緒に出かけられなくて残念だねぇ」 「でも、小狼君には試合で勝ってもらいたいですから」 この女子生徒はほんとに純情乙女で、他人の恋人とわかっていながらも見ててきゅんとなるなぁ、なんて隣まで来た生徒は思った。 でもあっちの教師はだめだ、汚れている。 「オレもみんなには勝って欲しいんだけどねー。勘弁して欲しいのは、景気づけだとか言って土曜の夜に激しくす……」 「ストップ! ファイ先生、ストップー!!」 「あ、四月一日君だー。早いね、おはよー」 二人を追い越そうとしていた生徒はとうとう叫んだ。 火曜日。放課後。 すっかり日も暮れて、下校の時刻を知らせる音楽が鳴っている。 部活をしていた生徒や残って勉強をしていた生徒、用もなくただ遊んでいた生徒はみんな強制的に学校から追い出される。 自分も帰り支度を整えた黒鋼は校門に立って生徒からの言葉にいちいち応えてやっていた。 「せんせーさよーならー」 「おう」 「先生、明日委員会あるんで俺遅れますー」 「終わったら早く来いよ」 そんな会話を最後に生徒は帰っていく。 その後姿を黒鋼は優しく見守っている、というわけではなく、ただ待ち人を待っているだけだった。 生徒が事故に遭わないように、不審者に狙われないように、明日もまた元気な姿を見られるようにと祈っているのだという風に見せかけて、 ただ例の化学教師が出てくるのを待っているだけだった。 だんだん生徒もみんな下校していって、人の顔も判別しにくいほど暗くなってきたのに、まだあの明るい金髪は見えない。 小テストで合格できなかった者の補習を行うと言っていたから遅くなるのは仕方がないが、生徒がみんな帰ってしまったら、ファイを待っているという事実だけが はっきりと残ってしまって、妙に恥ずかしい。 早く来い、と明かりのついた校舎を振り返ると、2メートルほど先に自分と同じように手持ち無沙汰に突っ立っている生徒を発見して、びくりと一歩下がった。 それに気付いた生徒が黒鋼を見て、あ、という口をした。 「まだ帰ってなかったのか」 「サクラを待ってるんです」 びっくりしたことをごまかす様に話しかけると、生徒の小狼は黒鋼がしたのと同じように校舎を振り仰いだ。 「黒鋼先生は、ファイ先生を待ってるんですよね?」 完全に断定で尋ねられて、黒鋼は答えに詰まった。 そうだけど、そうだと言うのは癪に障る。 果たしてあの男は、わざわざ待つに値する人間だろうか。 どうせ帰る部屋は同じなのだし、たいした距離も無いのに一緒に帰る必要などあるだろうか。 小狼がサクラを待ち、一緒に帰るのはおかしなことではない。 いつもは帰る時間がばらばらだから、今日は同じころに帰れそうだし待っててやるかと考えてしまった少し前の自分にイラっとして、耐えられなくなった。 「いや、俺はもう帰る。おまえも気をつけて帰れよ」 「え? 帰るんですか?」 「あぁ」 「でもファイ先生、そこにいますよ」 「あぁ!?」 そこ、と言われた方を見ると、さっきから待っていた化学教師が腹の立つ笑みで携帯のカメラをこちらに向けていた。 どうやら校門の内側に隠れていたらしい。 「見つかっちゃったー。でも良い写真撮れたから満足ー!」 「写真ってなんだ、おい待て!」 「黒ぽんが犬のようにオレを待ってる姿が撮れたよー!」 「よかったですね」 携帯の画面を小狼に見せて上機嫌のファイは、せっかく黒鋼が待っててやったと言うのに、ひとりで黒鋼を置いて歩き出した。 「見てこの寂しそうな表情! わんこみたいでかわいー!」 「誰が寂しそうにしてた!」 「この写真の題名はー、“暗夜行路の反平和的忠犬”にしようっと」 「何でちょっとかっこいいんだよ!」 教師の帰りはいつもうるさい。 水曜日。昼休み。 「それなぁに?」 「切り干し大根の卵焼きだよ」 「おいしそうね」 「ひとくち食べてみる?」 中庭のベンチで小狼とサクラは二人でお弁当を食べていた。 普段はひまわりや四月一日、百目鬼やモコナ達と一緒なのだけど、たまには二人だけでどうかと友人らに提案されたのだ。 みんなで食べるのも楽しいが、たまにはいいかなと思う存分二人の時間を堪能していた。 と、そこへ慌しく誰かが走ってくる音が聞こえた。 「あっ! 小狼君、なんかおいしそうなもの食べてるね! それ何?」 ばたばたと駆けてきたのは案の定、ファイだった。 ベンチの後ろで立ち止まって二人を上から覗き込む。 「切り干し大根の卵焼きですよ」 「へー。いいなー」 「良かったらどうぞ」 「わーい!」 小狼が弁当箱と箸を差し出そうとすると、ファイは自分で持っていた箸でひとくちサイズに卵焼きを切って口に入れた。 よく見ると、片手で自分の弁当箱を持っている。 「おいしいね! オレも今度作ってみようかなー」 「ファイ先生、どうしてお弁当持って走ってたんですか?」 「あ、そうだ! オレ、黒ろん先生に追われてるとこだったんだ!」 口をもぐもぐさせながらファイはぱっと背筋を伸ばして辺りを見回した。 「黒様先生のお弁当に蜂の子ご飯作って渡したら、怒られちゃったんだよねー」 「「蜂の子!?」」 小狼とサクラの声が重なると同時に、向こうから怒号が響いた。 「てめぇ! そこを動くなよ!」 食堂の方から映画の悪者みたいなセリフで黒鋼がこちらに向かってくるのが見えた。 するとファイは慌てて自分のお弁当からお返しと言って肉団子を小狼の弁当箱に入れた。 「なんで怒るのー!? 和風の味付けなのにー!」 ファイもまた駆け出そうとしたがすでに遅く、黒鋼はベンチの正面にまで迫っていた。 「だったらてめぇが自分で食え!」 「やだよーぅ。気持ち悪いもーん」 「自分が気持ち悪いと思うものを人に食わすな!」 小狼とサクラの前後であれこれ言い合い、そのままベンチをぐるぐる回ったあと、教師たちの追いかけっこは再開された。 騒がしい教師が去ったあとをやけに静かに感じながら、小狼は卵焼きをサクラの口に入れてあげた。 飲み込んでから、サクラが教師の去った後を眺める。 「ファイ先生の作るものなら、何だっておいしいような気もするけど」 「そうだね」 「黒鋼先生も青虫くらいなら生きたまま食べてそうだし」 「そう……えっ!?」 木曜日。化学の授業中。 「で、この問3の答えをー……はい、そこ寝ないでねー。ややこしい範囲だから眠くなるのもわかるけど、今寝たらあとで後悔するよー。 てゆーか、途中で寝るのってすごく失礼なんだよー、こっちは一生懸命なんだからね。 オレも夜、眠気に負けて最中で寝ちゃったりすると、あとでひどいお仕置き受けるんだよー」 「何言ってんですか!?」 「じゃ、問3の答えを百目鬼君、記号で上から順に答えてー」 「イ、ア、エ、ウ、オ」 「おまえも普通に答えんなよ!」 「はい百目鬼君、正解。四月一日君、ツッコミありがとう」 同日。体育の授業中。 「サクラちゃん、サーブはもう少し手首のこの辺りでやればいいと思うよ」 「ありがとう、ひまわりちゃん。バレーって難しいね」 「どうだ、サーブ入るようになったか」 「さっき一度入ったんですけど……黒鋼先生はサーブ打つの、上からですか? 下からですか?」 「俺は上からだな」 「サクラちゃんも上からにしてみたら?」 「やってみるね…………あ、入った!」 「やったね! あとで小狼君に報告してあげる」 「え! いいよ、そんな、たいしたことじゃないし!」 「だってサクラちゃん、ずっとサーブが入らないって悩んでたし、小狼君も心配してたんだよ。きっと褒めてくれると思うな」 「そ、そうかな……あれ、黒鋼先生どうしたんですか?」 「どうしてそんなに神妙な顔なんですか?」 「いや……微笑ましいというか、眩しいというか、羨ましいというか、もはや自己嫌悪の域だ」 金曜日。放課後。 夕日の差す帰り道。 小狼とサクラは分かれ道の前で名残惜しそうに見つめ合っていた。 若々しい二人の肌は赤い太陽の光を跳ね返し、お互いだけを瞳に捉えている。 車の走る音も踏み切りの音も聞こえず、後輩たちが二人を見ては「素敵ね」と囁きあっているのも聞こえていない。 首輪をした小さな犬が一匹、二人のそばへやって来ようとするのを酒屋のお婆さんがそっと抱いて奥へ引返したのも、当然見えていない。 「小狼君、明日部活は?」 「明日はあるけど、日曜は休みだよ」 「だったら、あのね、日曜日……」 「日曜日、一緒に出かけようか」 「……もう、わたしが先に言おうとしたのに」 「どこ行きたい?」 「今決めるの?」 「すぐには決まらない?」 「今夜、電話がしたいの」 「いいよ。待ってる」 さっきまであんなにしょぼくれていた二人なのに、新たな約束でもう笑っている。 じゃあ今夜、と言って別れた二人の目には、視界に入っていなくてもお互いのことしか見えていない。 若いだけと言ってしまえばそうだけれど、実際に若いのだから当たり前だ。 アパートのベランダで洗濯物を取り込む寝起きの女の顔も、幼い弟の手を引く幼い姉の緊張した足取りも、砂利を轢く車のくすぐったい音も、全部見えてやいないのに、 こんな風景を見るたびに、彼らはお互いのことを心に想うのだろう。 土曜日。夜。 「おかえりなさい、お疲れ様ー。ご飯にする? お風呂にする? それとも」 「風呂」 「それともバランスボールで遊ぶ?」 「何だその選択肢」 「バランスボール買ったんだー」 「いらんもん買うな!」 黒鋼が朝から部活の指導に出かけてしまったので、ファイは暇を持て余し、まん丸の大きくて軽いボールを遊び道具に買ってきてしまった。 乗ったり転がったり転がしたりすると楽しくて、一日中遊んでいた。 これがあれば黒たんなんていらない! などと一瞬考えてしまったのは内緒。 「あとねー、入浴剤も買ったんだよー」 「だから余計なもんを買うな」 「泡が出るやつと、ぬるぬるするやつ、どっちがいい?」 「どっちもいらん」 「ぬるぬるの方ね!」 黒鋼が止める間もなくファイは入浴剤の封を切ってしまった。 粉状の入浴剤は一度開ければ、そこらに置くと必ず倒れて中身がこぼれるだろう。 あぁもうと頭をかいて黒鋼は脱衣所へ向かう。 「おまえが入るときにだけ入れろ」 「えー? オレ、今から入るよー?」 「それ入れるんなら、おまえは俺の後だ」 「違う違う。一緒に入るんだよ」 そう言うと黒鋼は無表情のままファイを振り返った。 満面笑顔でファイは黒鋼の腕にするりと抱きつく。 「だったら飯、先に食った方がいいんじゃねぇのか」 「大丈夫だよ。冷えてもいいようにと思って、今夜は冷やしそうめんだから」 最初からそのつもりで買ったのかという黒鋼の問いには無言で返して、ファイは浴槽に入浴剤を混ぜ込んだ。 そしてまた月曜日。朝。 「今日も起きられなかったよー」 「わたしもあと10分早かったら一緒に行けたのに……」 またまた並んで登校するファイとサクラ。 今日もまた早起きに失敗したらしい。 「起こしてって言ってるのに起こしてくれないんだよねー」 「一緒です。起きたとき電話してって言ってるのに、寝てていいからって」 「もう諦めて、月曜の朝はサクラちゃんの時間に合わせようかなぁ」 「わたしに合わせたら、遅刻しちゃいますよ」 くすくすと笑い合ってからりと晴れた空の下を歩く。 騒がしい一週間の始まりの朝は、いつも静かだ。 「今日も平和ねぇ」 理事長室から登校する生徒を眺めていた侑子がそう呟いて、窓をいっぱいに開けてファイとサクラに手を振った。 END
純真な子供と穢れた大人
日常系堀鍔楽しい!