空間的狼少年

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恋する仮面の一人舞台

妖怪なんて、みんな変わり者だ。
けどそれは人間の認識で、私からすれば人を食べるために毎夜飛び回るのだって全然おかしなことじゃないし、
人を驚かせるために毎日画策してるのだってごく普通のことだ。
妖怪はそれぞれ個性的でそれぞれが常識と言うものを持っている。
だからどんな変わり者も妖怪だから、の一言で解決してしまえた。
今までは。

「動物が好き」

彼女は愛猫を膝に乗せてそう言った。
真っ黒な美しい毛並みの猫は主人に撫でられ嬉しそうに喉を鳴らす。

「悪意のない、動物が好き」

彼女は忌み嫌われるのを嫌っていた。
私は誰に嫌われても構わないし関係ないと思っていたが、彼女はそうは思えないらしい。
自然と伝わってくる感情に耐えられないのだと言った。

「だから、人間も妖怪も、あまり好きではないのです」

自嘲気味に目を伏せた彼女はどこか人間的な雰囲気を感じさせた。

「じゃあ、私はどう?」

挑戦するような気持ちでそう尋ねると、彼女は薄く笑みを浮かべた。

「あなたが私を嫌えば、私もあなたを嫌いになります」

古明地さとりは、初めて私の心を揺すぶった人物であった。





私は今まで他人との交流を持つことはなかった。
と言うよりも、誰かを見ればすぐに嫉妬してしまい良好な関係を保つことなどできなかった。
地底の住人と顔見知りにはなっても、私は常にひとりで過ごしていた。
周りにたくさん同じ境遇の妖怪がいても種族が違うわけだから仲間意識を持つこともなかった。
ずっとそうしてきたから、楽しそうに談笑する妖怪たちを見ても妬ましく思うことはない。
他人とのコミュニケーションなんて、あんなに面倒なことを羨むのは馬鹿げている。
けれど、誰かと一緒にいるのが楽しいと思える彼女たち自身を、妬むことはあった。
そうして適当な関係を保ちながら橋の上で全ての生き物に嫉妬していた。
不満はなかったし、希望もなかった。
しいて言うなら同じ時間が巡り続ければいいと思った。
だがそう簡単に願いが叶うはずもなく。

「こんにちは、水橋パルスィさん。今日も良い日ですね」

一つの小さな波紋のように彼女は現れた。
地霊殿の主であると言う古明地さとりは名の通りさとり妖怪で、人の心が読めるらしい。
全く便利な能力、妬ましい。
そう言うと彼女はひどく驚いた顔をしてうつむいた。
私なんて誰かを嫉妬するしかできないのに、本当に羨ましい能力だと思った。
それに彼女はとても美しい容貌で、細い体に白い肌、毒々しい濃い桃色の髪、全てを見据える三つの目。
組まれた長く華奢な指、幼さを残した柔らかな頬、何もかもが私にはないものだった。
だから私はもう彼女に会うまいと心に決めた。
妖怪も人間も、いつだって自分に都合の良い世界を求めている。
わざわざ自分を苦しめるために見たくないものを見るほど、私は愚かな妖怪ではない。
それなのに彼女はたびたび私の橋にやってきてはどうでもいい話をする。
可愛いペットの話、手のかかる妹の話、まだ見ぬ外の話。

「あんたは何をしに私のところへ来るの?」

真意を測りかねてそう問うと

「パルスィと一緒にいるのが楽しくて」

なんて、目を伏せて淑女のように恥ずかしげに言うものだから私も強く拒否できない。
それに彼女の能力は思った以上に便利で、話の展開は私に合わせてくれているし、
私がそろそろ一人になりたいと思ったときに彼女は帰りますと言う。
私が迷惑と思う前に彼女は去り、負担になることはなかった。
そして次第に彼女は私の話を聞きだすようになっていた。
ごく自然に探られ暴かれ引きずり出される。
だけど誰かに自分を吐露することのなかった私にとって、それは言い知れぬ悦びとなった。
彼女の静かな森林のように澄んだ奥深い目で見つめられれば隠し事なんてできるはずもない。
私のどんな話でも、醜い恨みつらみであっても彼女は笑顔で聞いてくれた。
許されていると勘違いした私が彼女の来訪を待ちわびるようになるまで、そう時間はかからなかった。



「パルスィ、あの地霊殿の主と会ってるのかい?」

ある日私の元に久々にさとり以外の客が現れた。
星熊勇儀は、快活な酒呑みの鬼でとても強いらしいが、私は何も知らないし、知ろうと思ったこともない。
すでに私は現れた人物がさとりでなかったことに落胆するようになっていた。

「そうだけど……何?」

長い角を額に一本生やした鬼は私の隣へやってきて、なにやら不穏な空気をまとわせている。
いつもは誰かまわず捕まえてはうるさく騒いでいるのに。

「あんまりあいつとは関わらない方がいい。得体の知れない奴だよ」

「……どうしてそんなこと言うの?」

私は確かに、隣の鬼に怒りを覚えていた。
なぜ何も知らない部外者にさとりとの交流を悪く言われなければならないのだろう。
これ以上は聞く価値なんてない。

「あいつは打算的な奴なんだ、パルスィ。今見せてる好意は嘘に違いな…」

「どうしてそんなこと言うの!? あんたには関係ないでしょ!」

突然の激昂に鬼は戸惑うが、なお私に信じられない言葉ばかりかけてくる。
一人が寂しいなら他に友達を見つけろだとか、私も協力するだとか、見当違いもいいところだ。
私はとうとう癇癪を起こして鬼を追い返した。
一人が寂しいなんて思ったこともない、ましてさとりの好意が嘘だなんてあり得ない。
彼女は言っていたのだ、妹やペットたちの世話に疲れて理解者を欲していたのだと。
だから私とさとりは分かり合えたし、今まで他人を求めなかった私がこんなにもさとりを求めている。
なのにどうして、あんなひどいことを言われなければならないのだろう。
怒りを越して私は涙さえ零していた。
こらえきれない嗚咽が漏れて私は橋の手すりに突っ伏せた。

「パルスィ? どうしました?」

一瞬体が凍りついたがすぐに震えへと変わった。
鈴のように落ちたその声は、鉛のように落ちた私の声に絡みつく。
胸をかきむしりたい衝動を抑え、彼女の足元に跪き私は屈服した。

「たすけて」

「パルスィ?」

「だめ、もう、私、だめなの」

こんなに苦しむ私を救ってくれるのは、彼女だけ。
長いスカートをつかみ聖女の白い手に縋ると、さとりはしゃがみこんで私の頭を包み込んだ。
こんなに醜い私に触れてくれるのは、彼女だけ。
髪をなでて頬に手を当て、さとりは幼子をあやすように私の背を叩く。
こんなに不安定な私を支えてくれるのは、彼女だけ。

「大丈夫ですよ、パルスィ。私だけはあなたのすべてを理解してあげられますから」

「さ、とり……わたしは、もう」

はじめてひとりでは生きられないと思った。
この暗い世界で唯一の拠り所を見つけてしまって、もう昔のようには戻れない。
無音の背景に彼女の言葉だけが浮かび上がり、私を取り囲む。
恐怖を削っていたら安堵が生まれたような感覚。
何もかもを捧げてせめて足元に転がる石ころにでもなれたら。

「ねぇ、私今のパルスィの眼、すごく好きですよ」

それが彼女の魂胆だとしても、もはや私に浮上する力などない。

End