空間的狼少年

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彼女の純情シグナル


魔理沙はソファに座りうつむいて、今にも涙があふれそうになるのを必死で我慢している。
私は魔理沙の頭をなでたり紅茶をいれてあげたり、今は何を聞いても無駄だろうと彼女が落ち着くのを待った。
こんなときくらい自分は本当に健気で律儀だと思っても構わないだろう。
ばかみたい。
魔理沙のやわらかい髪を撫でながら心の中で呟いた。

「大丈夫?」

魔理沙が大きく深呼吸して目をごしごしと乱暴にこすったので、私は彼女の隣に腰掛ける。
うなずいて魔理沙はごめんと言った。
そんなこと言われたって惨めな気分しかならないのに、今の私と魔理沙の間にはどう選んでも優しくなる言葉なんてなかった。
うさぎみたいになった目をこちらに向けて、ばつが悪そうに魔理沙は笑った。

「ほんとは分かってたんだ、こうなるってこと。咲夜が優しくて、私が卑怯な人間だから」

外がだんだん茜色に染まっていく。
窓からいっぱいに入る光は虫みたいに私の頭上で飛び回る。

「霊夢のことが好きなのね」

目を閉じて言ったのに魔理沙の体がこわばるのが分かった。

「霊夢と喧嘩したんでしょ? それで代替品として私を使ったのね」

「そうじゃないんだ! そんな、霊夢の代わりだなんて、思ってない」

魔理沙は必死で弁解するけど、私にはもうまっすぐ受け入れる心がない。
昨日までの幸せな記憶はきっと利己的な幻想なのだ。
悪いのは誰とか、原因は何とか、そんな話ではない。
しいて言うならば、軽い気持ちではじめたはずの関係を勝手に特別なものとしてしまった私の自業自得だ。
そう思ったら笑えてしまうくらいばからしかった。

「もういいわ。あなたが霊夢とちゃんと仲直りすればいい話でしょ?」

立ち上がって魔理沙の手を引くと、彼女はびくりと体を震わせた。
ため息をついて強引に魔理沙を外に連れ出す。
でもとか、だってとか、待ってくれとかわめきながら魔理沙は家に戻ろうとするので、仕方なく私は魔理沙の手を離した。
面倒なことは早く片付けてしまうのが一番だ。
こんなにきれいな夕日の下でごたごたしているなんておかしいことだ。
私は魔理沙のなかには入れない。
私は紅魔館でお嬢様に仕える毎日から出てはいけない。
家に戻って待ってなさいと魔理沙に告げ、私は全力で博麗神社へと向かった。
息を切らせて神社に着くと霊夢が台所で食材をまな板の上に並べているところだった。
私を見たとたん嫌な顔をしたけれど、そんなことはもはや気にしてなどいられないので、ちょっと来てと霊夢を手招きした。
霊夢は怪訝な表情で私を見つめ、一瞬だけ悲しそうな怯えるような目をしたあと、調理器具を片付け私の隣に立った。

「咲夜にまで迷惑かけて、どういうつもりなのかしら」

怒ったように吐き捨てられた言葉は無意識だからこそ私をいたたまれない気持ちにさせた。
滑稽なのは私だけなのだ。
私のできることといえば思い上がらないことだけだ。
二人で食べるには少ない鍋の具材ね、と言うと霊夢は苦笑した。

「言っとくけど、私は被害者なのよ」

「分かってるわ」

魔理沙の家に戻る途中、ひとことだけ交わしたあとはずっと無言だった。
無表情だけど霊夢にもいろいろ思うことはあるのだろう。
それでも言い訳がましい私の発言をあっさりと流してしまうくらいだから、冷静さは欠いていないのだろうと安心していた。
だけど霊夢が魔理沙を見た瞬間、それは誤りだったとわかった。
霊夢がこんなに感情をあらわにする人だったなんて。
逃げ回る魔理沙を追いかけ怒鳴り散らし、手当たりしだい物を投げつける。
かと思えば突然うずくまって泣き出し、魔理沙が困った顔で私に救いを求める。
もうこれ以上面倒を見てやる気はないので、おろおろする魔理沙と泣き止まない霊夢を置いて私は紅魔館へと帰った。
外は暗くなってしまっていて、星がきらめいている。
毎日笑って過ごしているのにどうして手の届かないものまで欲してしまったのかしら。
ばかみたいね、ほんとうに、どうしようもないわ。
そういえば魔理沙と会うようになった頃に比べてずいぶん風が冷たくなってきた。



紅魔館に戻るとすぐにお嬢様に呼び止められた。

「ねぇ、まだ森の異変とやらは解決しないの?」

やけに機嫌の悪そうな声だった。

「いえ、さっき解決しました」

私が魔理沙のもとに通うようにするために、お嬢様には魔理沙の住む家の方で小さな異変が起きているのだと説明した。
たいしたことではないけれどと強調しながらも、念のために調べに行きたいとお願いするとお嬢様は興味なさそうに許可してくれた。
嘘をつくことにはもちろん抵抗を感じたが異変と言えないこともないと弁護しながら罪悪感を打ち消していた。

「じゃあこれからは仕事に従事できるわね」

「はい、すいませんでした」

いくらか機嫌の良くなった様子にほっとして答えるとお嬢様はにこりと笑った。

「私を騙していたことへの謝罪はないのかしら?」

私はそれを聞くと時を止めて逃げ出してしまいたくなった。
体の表面に冷たいものが流れるような、血の管が沸騰するような感覚。
きんと耳鳴りがして目の前のもの全てが偽者のように思えた。
汗の流れる手を握り締めると、お嬢様が盛大にため息をついた。

「反省してるならいいわ。何だか知らないけど、痛い目を見てきたみたいだし」

私は何も言えずに黙って足元に視線を落とした。

「あなたはここから出て行くことはできないのよ、咲夜。私のもとを離れたりなんかしたらあなたは生きてはいけないわ」

「おっしゃる通りです……本当に、すいませんでした」

深く頭を下げるとお嬢様はもう寝るわと立ち去った。
私は二度と軽はずみで人の頼みは聞かないと心にかたく誓った。



後日、魔理沙が先日のお詫びとしてワインを持ってやってきた。
喜んで受け取ると、魔理沙はびっくりした顔をしていた。

「もう会ってくれないかと思ったのに」

「どうして?」

「だって、あんなに迷惑かけたから」

私はしょんぼりする魔理沙に笑いかける。

「楽しかったの。あなたと一緒にいる時間、とっても楽しかったわ」

仲直りはしたの、と聞くと魔理沙は照れたように微笑みながらうなずいた。
私はそれで十分なくらい満たされた。
けれど霊夢はそれだけでは足りないのだろうと考えると、やっぱり私では不適応だったなと思う。

「たまにはお菓子でも食べに来てね。霊夢に嫉妬されない程度に」

今は掃除の途中だからもてなしてあげられないけれど、と謝ると

「じゃあまた今度来るよ。そのときはおいしいケーキを食べさせてくれ」

とふわふわのホットケーキみたいに笑った。
私には、それだけで十分なのだった。


End