空間的狼少年

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犬に恋して猫やめる?


「さぁ、みんな集まったねー?」

「はーい」

リーダーの白猫ファイの声に元気よく応じたのは護刃ちゃん。
体は黒いけど足先だけが靴下を履いたみたいに白い猫さんです。

「じゃ、まずは近況報告を」

今夜、広場に集まったのはこの地域に住む猫たち。
今日は猫の会議の日なので、みんな木材の上に登ったファイを中心に半円になっています。

「春も終わってこれから暑くなります。水分補給はしっかりしましょー」

「はーい」

「それから、暑さで苛立った人間にも注意です。ストレス解消だとか言って猫を蹴っ飛ばすとんでもない輩には十分注意です」

ファイの言葉に護刃が返事をしようとするより早く、隣の黒猫が声をあげました。

「そんなことに限らず、人間には注意すべきだろう」

そう言ったのは旅猫の神威君です。
少し前に双子の昴流君と一緒にこの町にやってきました。

「人間も、みんながみんな悪いわけじゃないよ」

護刃が意見すると神威がむっとしたように護刃を睨みます。
そんな神威を昴流がなだめ、ファイに先に進めるよう促しました。
ファイはうなずき、ふたりの猫に言いました。

「確かに、基本的に人間には注意するべきだねー。でも護刃ちゃんの言うとおり、野良猫にも優しくしてくれる良い人間がいるのも事実だ。
 その辺は、自分の判断で注意深く見極めましょー」

ファイが結論付けると神威は不機嫌そうにそっぽを向きました。
神威と昴流は、以前に人間と色々あったらしく、今もその人間から逃げているところなのだそうです。
人間を警戒するのも無理もないことです。

「えー、それでは次の報告です。このあいだ、犬に襲われた四月一日君、前へどうぞー」

灰色に近い黒の猫、四月一日君がファイに呼ばれ前に出ました。
一息ついたかと思うと、すぐに声を荒げました。

「犬には! 犬には要注意です! 特にあの4丁目のでっかい奴! あいつには特に注意です!!」

わなわなと体を震わせそれだけ言うと、静かにみんなの中に戻りました。

「4丁目って言うと、小羽ちゃんとこの百目鬼君のことかなー? あんまり悪い犬には見えなかったけどなー」

首をかしげたファイでしたが、犬には要注意、と繰り返しました。
それから、思い出したように護刃が手を上げました。

「犬といえば、学校のそばに新しい人が越してきたんだけど、そこにすっごく怖そうなおっきい犬がいたなぁ」

「学校のそば?」

「そう、確か、小狼君? って犬がいる隣の家」

小狼の名を聞いて護刃の隣にいたさくらがぴくんと耳を立てました。
藤隆さんちの小狼君と、薄い桜色の猫さくらはとても仲が良いのです。
だからさくらも犬だってみんながみんな悪いわけではないと言いたかったけれど、さきの護刃と神威のやり取りを見て黙っていたのです。

「誰か知ってる人いるー?」

ファイがみんなに尋ねると、昴流が控えめに手を上げました。

「小さな女の子が散歩してたのが、たぶんその犬だと思います」

「小さい女の子かー。もし犬が暴れたら押さえられないかもねー。じゃ、その犬も要注意ってことでー」

そして一通りの報告が終わると、ようやくメインの会議に移ります。
今日の議題は「猫缶のおいしさは値段に比例するか」です。
今夜も白熱しそうですね。
にゃーん。


翌日、ファイはお昼ごろに目を覚ましました。
昨晩は議論が激しくなり、朝まで討論が続いたのです。
結論は出ないままでしたが、大事なのは結論ではないので誰も気にしていません。
思いきり伸びをしたファイは毛づくろいをして広場を出ました。
ファイは今は野良猫なので、どこで何をするにも自由です。
さくらや護刃のように人間に飼われるのもいいですが、ファイは今の状態が気に入っていました。
おなかがすいたので、まずはご飯をねだりに行きます。
ファイは悪さをしない良い猫で、見た目もきれいなので、この街では人気者なのです。
今日は有栖川さんの家へ行くことにしました。
ここの奥さんはいつも無表情だけど、とっても優しい人です。
庭に入って窓から中を覗くと、奥さんの嵐さんがアイロンをかけていました。
にゃーんと鳴くと嵐はファイを見てすぐに台所へ向かいました。

「元気そうね」

そっとファイの頭をなでた嵐がかつおぶし入りのご飯を差し出しました。
感謝の気持ちを込めて嵐の手に擦り寄って、器に顔を突っ込みました。
昼間はお仕事でいないけれどご主人の空汰さんもすごくいい人です。
でもあまりにも強引に抱いてすりすりしてくるので、猫にはあまり好かれていませんでした。
ご飯を食べ終えてお水をもらって、ひとしきりなでてもらうと、ファイはにゃあと鳴いて出て行きました。
猫の去り際はクールでなければいけません。
手を振る嵐に応えるように尻尾をひと振りして道路へ出て、今度はお散歩の時間です。
とことこ歩いて気の向くままに街の様子を観察します。
若葉のにおいが鼻腔をくすぐり、ファイはなんだか楽しくなってきました。
上機嫌で歩いていますと、曲がり角のゴミ捨て場に、ガラスの破片が散らばっているのが見えました。
マナーの悪い人間もいたものです。
気をつけなければ、とガラスを避けて角を曲がったところで、ファイは心臓が飛び出すほどに驚きました。
実際、体は垂直に飛び上がっていました。

「ふぎゃあ!!」

「あら、猫さん」

尻餅をついたファイが見たのは、うわさの小さな女の子と大きな犬でした。
ガラスに気をとられていたものですから、眼に映った見るからに凶暴そうな大型犬にファイはびっくりして変な鳴き声を出してしまいました。
自分を見下ろす黒犬は牙こそ剥いてないものの、視線でかなり威嚇してきています。

「黒鋼、そう睨んではいけませんわ」

長い黒髪の少女が黒鋼と呼んだ犬を撫でて、リードをぎゅっと握り締めました。

「にゃ、にゃあ……」

けれどあんなか弱そうな女の子の力ではこの犬は制御できないでしょう。
ファイは後ずさりして距離を取ろうとして、そしてあっと気付いたときにはもう手遅れでした。

「にゃーー!!」

ぐさりと、散らばったガラスの破片がファイの肉球に深く刺さりました。
再び飛び上がったファイが急いで患部を舐めますが、ガラスは取れそうにありません。
にゃあにゃあ鳴いて泣いているファイの背に小さな手が触れました。

「たいへん、大丈夫ですか? もう、黒鋼が驚かすから猫さん、けがをしてしまいましたわ」

少女が犬に話しかけると、黒犬は知るかと言った風に鼻を鳴らしました。
痛みに鳴くファイを優しく抱いた少女はそのまま犬を連れて歩き出しました。
状況を把握しようとしても傷が痛すぎて意識がはっきりしません。
少女に抱かれたファイは朦朧とした状態で、いつの間にやら少女の部屋に連れ込まれていました。

「にゃあ……」

弱々しく鳴くと、少女がファイの頬をなでました。

「一応ガラスは取り除きましたが、まだ痛みますよね? このクッションをお使いくださいな」

ファイを持ち上げてやわらかなふわふわのクッションの上におろしました。
見回すとファイはかわいらしい部屋にいて、少女が包帯を巻いてくれていました。

「私は知世といいます。あの犬は黒鋼。ごめんなさい、私が前を見ていなかったばっかりに……」

申し訳なさそうに謝る知世という少女に、ファイはにゃあと鳴いて答えました。
違うよ、オレがガラスに気を取られてたせいだよ、と。
消毒された傷口には清潔な包帯が巻かれました。
今日はここに泊まってください、と知世が言うのでファイはその好意に甘えることにしました。
ファイは野良猫なので人間に深く関わりすぎてはいけません。
だけど一泊くらいなら構わないでしょう、けがもしていることですし。
本当に久々にふかふかの布に包まれ、ファイは幸せな夢を見ていました。
夜になっても、夜行性のはずなのに心地よくてクッションから動けずにいました。
ぐっすり眠る知世のベッドの下でうたた寝していると、外から犬の声がしました。
わん、と鳴いた黒鋼の声は、どうやらファイを呼んでいるようです。
隣町の猫と仲が悪いということもあり、この町の猫はみんな結束して仲が良く縄張り争いをしません。
飼い猫のところへ野良猫が遊びに行くこともあるし、逆もまた然り。
人間を含め、誰もそれを不快には思っていません。
この町は動物に優しいのです。
けれど犬の事情は知りません。
あの犬は自分の家に上がりこんだ野良猫が気に入らないのでしょう。
わん、ともう一度低い声で鳴いた犬に、ファイは腹を決めて立ち上がりました。
ファイはこの町の猫たちのリーダーですから、いざこざを起こすわけにはいきません。
ただ怪我をしたから治療をしてもらっていただけで、明日には出て行く、領分を侵すつもりはないのだときちんと説明して分かってもらわなければ。
話し合いで解決できれば良いのですが。
警戒しながらもファイは開いたままの窓から外へ出ました。

「何の用かな?」

愛想笑いいっぱいで犬小屋の前に立つと、大きな黒い塊がのっそりと出てきました。
自分の体の何倍もある黒鋼に、ファイは少し怖気づきました。

「おまえ、傷はどうなんだ」

「え……? 傷は、知世ちゃんが包帯巻いてくれたよ?」

ほら、と言って手を見せると、黒鋼は安心したように息をつきました。

「悪かったな、あんなに驚くとは思わなかったんだ」

そう言って目をそらす黒鋼に、おや、と思いました。
気遣いが飼い主そっくりです。
てっきり喧嘩をふっかけられるものとばかり思っていたので、拍子抜けしたファイは気を緩めて黒鋼に近づきました。

「君、最近引っ越してきたんでしょー?」

「あぁ」

「オレね、この町の猫のリーダー、ファイっていうんだー。よろしくねー」

いきなりフレンドリーになったファイに黒鋼は戸惑っているようでした。

「犬のルールとかはあんまり知らないけどー、ま、わかんないことあったらオレに聞きなよ」

古参の猫だからね、と胸を張ると黒鋼はぴくりと眉をひそめました。
それに気付かずファイは続けます。

「オレに従って悪いことはないよ。猫はみんなオレの言うこと聞くし、それに猫以外の人脈も広いからねー。
 君もオレの傘下に入ればすぐに馴染めるよ」

「おまえに従うだと?」

「うん?」

突然声のトーンをがくっと下げた黒鋼が体を起こしてファイに歩み寄ります。

「おまえみたいな弱い猫に、俺が従うとでも思ったのか?」

その言い方にむっとしたファイが言い返します。

「別に力が全てじゃないでしょ?」

「動物の世界は弱肉強食だろうが。弱い奴は食われる、強い奴が生き残る」

「飼い犬のくせに何言ってんの? 君の理論で言えば、君は弱いからあの人間に従ってるってことになるけど?」

「なんだと!?」

とうとう牙を剥いた黒鋼が低く唸り声をあげました。
ファイも毛を逆立てて応戦します。

「知世に従ってんのは、そんな理由じゃねぇよ」

「あっそう。どうでもいいけどねー。でも、オレに歯向かったのは、いつか後悔させてあげるよ」

一触即発の状態で、しばしにらみ合いが続きました。
そして、次のファイの言葉が黒鋼を激怒させてしまいました。

「もしかして、オレが知世ちゃんに抱っこされたのに嫉妬してるの?」

「あぁ?」

「それはしかたないよ、オレは君と違ってかわいいんだから」

「んなことで嫉妬なんかするか」

「まったく、オレがどさくさに紛れて知世ちゃんの胸を触ったからって……」

「ちょっと待ておまえ何してんだ!!」

がしゃんと黒鋼を繋ぐ鎖が音を立て、次の瞬間ファイは黒鋼の大きな口で首根っこを押さえつけられていました。

「ふにゃー!! いったーい! オレ怪我してるのにー!」

「てめぇ、知世に手出したらただじゃ済まさねぇぞ!」

「ちょ、いや不可抗力だって! 抱っこされたんだからその位置に来ちゃうでしょー!」

ぎゃあぎゃあと鳴き叫んでいると、がらりと玄関の扉が開きました。

「黒鋼! なにしてるの!」

現れたのは知世の姉の天照でした。
箒で黒鋼をばしばし叩いてファイを離させ、ぐったりしたファイを抱いて家の中に入りました。
恨めしそうな黒鋼の視線を受けながらファイは次の会議ではこのことを報告して、絶対に復讐してやろうと強く決心しました。

END
続きそうですね
ちなみに蘇摩は文鳥、すももと琴子は野良ハムスターという設定