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一番星見つけた 相談があるんです、なんてたいそう深刻な顔で言われたからこっちもそれなりの覚悟をしてきたというのに、呼び出した当人は偉そうに机に座って細い足をぶらぶらさせていた。 教室に入ってきた黒鋼に気付いた彼女はゆっくりとこちらを見て、意味深に微笑んだ。 「黒たんせんせー、遅かったねー」 「まず机から降りろ」 放課後の教室には黒鋼と彼女以外は誰もいない。 焼けた空も遠くのほうは暗くなってきていて、山際はもう深い暗闇に呑まれかけている。 そんな風景に反するように、弱まりつつある光を受けた彼女の金の髪は暖かそうな橙色に染まっていた。 「早くこっち来てー」 降りろと言ったのにその状態のまま手招きをする少女、ファイは今日の給食のあと黒鋼の服の裾を引いて相談を持ちかけた。 悩みがあるんです、他の誰にも言えなくて、困ってるんです、と。 そのときの切羽詰ったような深刻さなど嘘のように今は満面の笑みで黒鋼を見上げている。 普段から快活で、悩みなど全くないような呑気さで教師たちを困らせている問題児ファイにあんな顔で相談されれば、何か家庭で重苦しい事件でも起きているのかと思うのも当然だ。 なのに当のファイはと言えば、黒鋼の覚悟など知らずにこにこと、いくら注意しても直さない短いスカートをさらに短くしようとしている。 「こら、丈を直せ」 「えへへー」 「えへへじゃないだろ、見えるぞ」 「見たい?」 上目遣いでいたずらっぽく問うファイの頭を持っていたプリントの束を丸めて叩くと、彼女は不満そうに頬を膨らませた。 黒鋼はファイのクラスの副担任で、朝礼と終礼、給食の時間などにこのクラスに来る。 その他にも担任のサポートをするが基本的には自分の受け持っている体育の授業や部活動に力を注いでいる。 個人面談も担任が行うし、クラスの生徒との関わりと言えば給食の時間、どこかの班に混ざっての雑談くらいだ。 黒鋼が主に関わるのは顧問をしている剣道部の生徒で、副担任といえどもファイの素性についてはよく知らない。 よくは知らないが、ファイがどれほどの問題児であるかは全ての教師がよく知っている。 「で、何だ相談ってのは」 これまでも多くの教師がファイに手を焼いてきた。 反抗期真っ盛りの生徒であればまだ対応ができるが、ファイはそんな子供らしい生徒とはどこか違っている。 しかし大人びているのとも違っている。 それも含めて、子供らしいと言えばそうなってしまうが。 「あのねー、聞きたいことあったんだー」 机に座ったままファイがずいっと顔を近づける。 さらさらの金髪に淡い蒼い瞳、丸い頬、整った顔立ちのファイは成長すればさぞ美人になることだろう。 「黒りん先生って彼女いるー?」 ファイはへにゃりと笑って首をかしげた。 教師になって生徒からは何度もこの質問をされたことがある。 多感な中学生なら大人の恋愛事情が気になるのも仕方がないが、黒鋼も立場上、思ったことを全て話すことはできない。 適当にあしらえば生徒もすぐに引いてくれるのだがファイはわざわざ黒鋼を呼び出してまで聞き出そうとしている。 しかも、ファイはどんなベテランの教師でも手に負えなかった問題児だ。 警戒心をあらわにしながら、いないと答えるとファイはぱぁっと破顔した。 「じゃあ、じゃあさ、オレを彼女にしなよ!」 「しなよっておまえな……相談ってのはこれか?」 呆れてため息をつくと、ファイは足をばたばたさせてそうだよ、と言った。 「ほら、オレってかわいいしー、今の内からキープしといた方がいいと思うんだー」 「自分で言うな」 「それにオレ、料理もできるし、成績も優秀だしー」 「成績以外の部分に問題がありすぎるがな」 するとファイはそっぽを向いて吹けもしない口笛を吹くまねをした。 「それは問題を解決できない先生たちに問題があると思いまーす」 「屁理屈だろ……っておい、いい加減スカートの丈を……」 「んー? あ、パンツ見えちゃう?」 足をばたつかせていたためスカートが上がって際どい部分まで見えてしまっている。 即座に目をそらしたが、見えてしまったことにファイは気付いたようだ。 「大丈夫だよ、絶対見えないから」 そう言うとファイは両足を机の上に乗せてぎゅっと膝を閉じた。 「だって、パンツはいてないもん」 「!?」 囁くような声で告げられびくりと肩を震わせそっと横目でファイを見る。 足はきつく閉じられ、全体を両手で抱え込んでいた。 「んな嘘に騙されるか」 そっけなくしても明らかな虚勢はすぐに見破られ、ファイは企むように口角を上げる。 「確かめてみる?」 「いいからさっさと直せ!」 「じゃあ直してよ」 「あ?」 「先生がこれくらいがいいなってくらいの長さに直して?」 怒鳴っても優しく言ってもファイは聞かない。 それなりに色んな問題児を相手にしてきたつもりの黒鋼だったが、まだまだ経験が足りないのかと少しだけ落ち込んだ。 生意気な少女は生意気に微笑んでじわじわと足を開こうとする。 急いで膝をつかんで止めさせると腹の立つ笑顔を見せられた。 「わかったから、とりあえず足を下ろせ」 面倒ごとは更なる面倒ごとを引き連れてくる前に解決してしまうのが一番だ。 相談にはもう答えてやったのだから、早く家に帰してしまおう。 しかし、そのようにするにはもう手遅れだったらしい。 「……っわ!」 足を下ろそうとしたファイは勢いをつけすぎたせいでそのまま上半身まで傾き机から落ちかけた。 そして不幸にも、何も考えずとっさに両手で彼女を受け止めたとき、片方の手がファイの胸に触れてしまった。 すぐに手を引っ込めはしたが体勢を持ち直したファイは瞬きしたあと、にまりと笑った。 嫌な予感がして逃げ出したくなったが、黒鋼はもう蜘蛛の糸に引っかかった羽虫同然だった。 「わぁーどうしよー! セクハラだー、オレ、黒ぽん先生にセクハラされちゃったー」 「……助けてもらった奴のセリフか、それが」 「助けるのを装ってセクハラされちゃったー! オレもうお嫁にいけないなぁ」 じわりと汗がにじんだ。 事実は事実なのだ、これはどんなに弁解しても黒鋼に勝ち目は無い。 中学校教師が女子生徒に性的接触、などとニュースで実名報道されては親に合わせる顔がない。 それどころか社会的に抹殺され、実質、身体まで殺されてしまうようなものだ。 これだから公務員はだとか、教師なんてみんなそれが目的なんだとか、心無い言葉を突き立てられ、しまいにはロリコン扱いで二度と日の光を見ることもかなわないかもしれない。 それだけは、避けなければ。 せめて自分はロリコンじゃないと、それだけでも弁明したい。 「こうなったら黒様先生に責任取って結婚してもらうしかないよねー」 好き勝手べらべらと並べ立てるファイに苛立ちを感じながらも、どう言い逃れをするか黒鋼は必死で考えていた。 いくらファイが頭の良い子供でも、所詮はちんちくりんの中学生だ。 必ず抜け道はある。 「女の子にこんなことしといて、知らんぷりで逃げる男って最低だもんねー」 「…………」 「ここで何のフォローも無かったら、オレ、心に大きな傷を負っちゃうよー。だって、こんなに年の離れた怖い顔の男の人に胸を揉まれたんだから……」 「……待て! それはおかしい!」 「え?」 あった、抜け道だ。 苦しい言い訳かもしれないが、明らかな矛盾点だ、勝敗はまだ決まってない。 「おまえ今、胸揉まれたっつったな?」 「え、う、うん……」 「よく考えてみろ。おかしいのがわかるな?」 「えっと……?」 きょとんとした表情でファイは首をかしげた。 そんなファイに黒鋼は真剣に言い放つ。 「壁は、揉めないだろ?」 諭すように言うと、ファイは目をまんまるにして固まった。 痛い沈黙が流れ、はらはらと黒鋼がファイの反応を待っていると、やがてファイは引きつったように笑い、そして、泣いた。 「うわー! ひどいひどいひどいー!!」 「ちょっ待ておい泣くなって」 「気にしてたのに! 実は気にしてたのに! 牛乳も飲んだけどでもあんまりいっぱい牛乳飲んだらお腹壊しちゃうからってユゥイに止められるし、ストレッチとかやったけど全然効果ないし…… 身長も伸びないし手もちっちゃいままだし……」 ファイは大粒の涙をこぼし泣き続ける。 この教室は棟の端っこにあり、出入り口は1つしかなく向かいの棟の教室は今は電気の消えている美術室だ。 誰かに見つかるという可能性は低い場所だが、こんなに大声で泣かれては人が駆けつけないとも限らない。 あせった黒鋼はどうにか泣き止まそうと、とりあえず頭をなでてやった。 「クラスの男子はみんなスレンダーな人が好きだって言ってるし、オレみたいな幼児体型じゃ誰も誘惑できないんだ……」 「誘惑せんでいい」 ぽんぽんと背中を軽く叩くと少し泣き止んだ。 それでもまだ充血して赤くなった目からは涙が流れ出ている。 「今のは俺が悪かったから、泣き止め」 確かにこの時期の中学生にはひどいことだったかもしれない。 まさかファイがそんなことを気にしているなんて思いもしなかったから言い訳の手段に使ってしまったが、こんなに思い切り泣かれると罪悪感で心が痛い。 けれどこのやり取りでさきの事件はうやむやにできるのではないか、という期待もあった。 「うぅー、黒ぴー先生のばかぁー。こんなに泣いたの久々だよぅ、ちょっと鞄からタオル取ってー」 言われた通り足元の鞄からファンシーなハンドタオルを取って渡すと、ごしごしと乱暴に涙をぬぐった。 何と言えばいいか迷っているとファイが顔をタオルで隠したまま、黒鋼の手に触れた。 「本気だったのに」 くぐもった声ははっきりと黒鋼の耳に届いたが、聞こえないことにして頭をなでた。 ぐずぐずと鼻をすするファイはさっきよりも落ち着いたようで、呼吸を整えタオルを外して黒鋼を見上げた。 憎たらしい生徒だと思っていたが、こんな子供っぽい、かわいらしい一面もあるのがわかると少しばかり頬がゆるんだ。 「おまえまだ13歳だろ? これからが成長期だ、そんなに気にすんな」 「もうすぐ14歳ですー」 ファイは口を尖らせ深呼吸して肩の力を抜いた。 「成長するかなぁ」 「あぁ、大丈夫だろ」 「侑子先生みたいになれるかな?」 「それは……」 あの教師にあるまじきグラマラスな理事長を思い描くと、さすがに同意しかねた。 そんな黒鋼にファイは嘘でもいいからなれるって言ってよと苦笑した。 少々ばつが悪くなって窓の外に目をやるとファイは机から降りて鞄を肩に提げた。 そして普段見るへにゃへにゃしたものとは違う、大真面目な顔で黒鋼の前に立った。 「5年。あと5年したら、もう1回アプローチしに行くから」 突然引き締まった声で告げられ、驚いて何も言えずにいると彼女はひとり教室を出るために歩き出した。 「そのとき黒たん先生に彼女がいても奥さんがいても関係ないから。絶対にもっとかわいくなって、告白しにいくからね。オレのこと、ちゃんと覚えておいてよ」 それだけ言うと、ファイは振り向かずに出て行った。 覚えておいてよ、なんて。こんな厄介な問題児、忘れようとしても忘れられない。 ぽつりと残された黒鋼はどうしたものかと頭を掻き、ひとまず窓の戸締りを確認した。 日はすっかり沈んでしまい、一番星が鈍く光を灯している。 5年なんて、すぐじゃないか。 「ほんとに来るんだろうな」 それは子供の成長を喜ぶ大人の期待とは少し違った呟きだったかもしれない。 自分の腰ほどの身長しかない、まだ幼い少女に恋心を寄せられるなんて経験はこれまでなかったが、こんなに慕ってもらって悪い気はしない。 もし5年経って、ファイがちっとも自分のところへ来る気配がないとわかると、ショックを受けてしまいそうだ。 案外、彼女の言葉を本気にしているのかもしれない。 遠いはずの一番星だって、よくよく見ると地球にはずっと近いのかもしれない。 どちらが光なのかなんてことは、星と地球にとってはどうでもいいことなのだ。 見つけたという、まさにそのことが、光なのだから。 END
または、とのことでしたが、女体でやろうとしたら2つがちょうど被ったので