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花の写真
帰り道、黄色い花がたくさん咲いているのを見て、あぁもう1年経ったのかと気づいた。
名前は知らないけど可愛い花だと、去年も同じことを思ったのだ。
道端にしゃがみ込んでその花を3本摘んで帰った。
しおれないように魔法をかけて窓辺に置いて、日が落ちる前の赤い空気を存分に吸わせる。
資料でいっぱいの重い鞄をベッドに投げるとオレはすぐに紅茶を用意して、机の引き出しの奥から便箋と封筒を引っ張り出した。
魚の絵が描かれた青と黄のファンシーな便箋だ。
机に向かうと羽根ペンで一行目に黒い猫を描く。たぶん、これでわかってくれるはずだから。
それからオレは元気です、そちらはどうですかというようなことを絵で描いた。
文字は読んでもらえないから苦労するけど、これはこれで暗号みたいで楽しかったりする。
薬草をまぜた紅茶はすっきりと喉を通り体が森林の香りに満たされる。
さっきまでの嫌なことも全部忘れさせくれるからオレはこの紅茶が好きだ。
今の仕事は楽しいけど大変で、オレが強大な魔力を持ってるからって場合によって重宝されたりこき使われたりするのには参っている。
科学魔法の実用化。
それが今オレが働いている会社の目標だ。
これまで科学という分野のある国にはあまり行くことがなかったから、最初は科学魔法という言葉を理解するのに戸惑った。
この国には宗教があった。
一神教で、聖典にはこの世界のものは全て神から与えられたものである、と記されている。
だから人々は神を知るために自然を学び、人のあり方を考えた。
以前に訪れたピッフル国を超えるのではないかというくらい、かなり高度な文明を持った国だ。
鉄の塊が道を走ったり飛んだりするし、テレビは立体で映し出され、人々はみんなお手伝いロボットを所持している。
こんなに発達した国だから歴史も長く、戦争を繰り返し、今だって隣国と一触即発の関係だ。
とても面白い国だと思った。
魔法についても様々な人が解明しようとしていて、生まれ持った能力だからと何の疑問もなく魔力を使っていた自分には興味深いことだった。
知ることも考えることも試すことも好きだから、ここで暮らそうと決めた。
あのとき、みんなはそれぞれ帰る国があったから、オレだけ仲間はずれだった。
すべてが終わって帰ろうかとなったとき心配されるのは嫌だったから、再び旅に出た日からどうすべきか考えていた。
このままひとりで旅を続けるのもいいけれど、モコナなしに移動魔法を使うのはとても疲れる。
それに今までみんなで旅を続けてきたのに今更ひとりでなんて耐えられそうにない。
そんなときちょうどこの国にやってきて、もし他にいいところがなければここに住もうと思った。
そしてみんなが帰る日、心配性で強引な誰かさんが余計なことを言い出す前に、住みたい国があると告げた。
とてもびっくりした顔をしていた。
痛い雨が降る国で拒絶を示したときとよく似ていたから、一瞬だけ心が震えたけど、そうかと言って笑ってくれたから大丈夫だった。
小狼君とモコナはオレがちゃんと自分で次に進む道を決めたことを純粋に喜んでくれた。
手紙を書くよ、と言うと返せないかもしれないと申し訳なさそうにしていた。
それぞれの国にはモコナが送り届けることになった。
オレは自分で移動するからと言うと、じゃあここでみんなお別れになるねとモコナは泣いていた。
小狼君の肩で別れを悲しむモコナの隣であの人は何やら複雑そうな顔をしていたけど気付かないふりをしてオレも一緒に別れを悲しんだ。
ようやく別れの決心がついたとき、小狼君が
「玖楼国はいいところだ。もし貴方が生きづらいと思ったら、ぜひ来てくれ。さくらと一緒に歓迎する」
そう言ってくれた。続いてモコナも
「モコナがいるところもいいところだよ! 寂しくなったら、遊びに来てね……!」
そう叫んだ。
泣きそうになってしまうのを必死でこらえてうなずいた。
するときまりの悪そうな顔であの人も
「日本国だって、いいところだ」
と主張するから、もう何も言えなくて、ただうなずいた。
また会えたらいいねと最後に笑えたのは奇跡に近かった。
だけど、あの人がオレを残してモコナの魔方陣に消える瞬間、まるで子供がわがままを言って泣きそうになっているような顔をしていたのを見て、我慢していたものがはじけてその場にしゃがみ込んだ。
移動の場を人気の少ない川のそばにしていて良かった。
もう戻れないのだと、もうあの日常は過ぎ去ったのだと、思い知らされた。
結んだ縁は消えなくてもあの人がいなければ意味はない。
本当はあの人の強引さに期待していたのかもしれなかった。
自分で選んだ道をあの人が否定するわけないとわかっていたけれど、心のどこかでもう一度手を引いてくれるのではないかと期待していた。
しばらく川原でぼんやりといろいろ考えて、川のせせらぎと鳥のさえずりに励まされて、ゆっくりと魔方陣を描いた。
あの国は言葉の使い方がセレスのものと似ていたから、きっと少しは言葉が通じるだろう。
どんなに安いものでもいいからとにかくベッドで眠りたかった。
夢の終わりを夢でごまかしたかった。
そうしてオレはひとりこの国にやってきた。
言葉や習慣を学ぶのにはそう時間はかからなかった。
持っているものを全部売り払うとしばらく安い宿を取れる金額になったのが本当に助かった。
他の次元の存在を認めている国だったから住民登録も簡単に済み、今では身分証明書まで発行されている。
ただ、参政権はなかったが、困ることではなかった。
それからはどうにか生きることに必死で思い出に浸ったり寂しさを噛みしめたりする暇はなかった。
魔力を売りに仕事を探していると、この国では自分は変わった魔術師であることが判明し、研究対象にされた。
衣食住を保障する代わりに知っている限りの魔法を使って見せて欲しいという申し出を二つ返事で承諾した。
どうにかなりそうだと安心してしまうと、なんだかこの国でひとりでやっていけそうな気がした。
あの日々を思い出さないわけではないが、あの日々はもう探したって求めたってどこにもないのだから。
一通り魔法を見せ終えると、この国の発展のためにあなたの魔力を貸してくださいと言われた。
ある薬品会社の研究室で薬を作って欲しい、と。
治癒魔法は使えないと言ったのに、破壊が治療につながることがあるのだと説明され、好奇心の赴くままその会社に入った。
きれいなアパートを提供してもらえて、給料も悪くないし、何より研究はとても楽しかった。
だから思い出してしまった。いちばん楽しかったあのころを。
手紙を書いたのはそのときだ。
文字は伝わらないから絵をたくさん描いて、3つの手紙を完成させた。
楽しくやっていけているということをよく描けていると思ったが、何か物足りなくて、帰り道にみつけた黄色い花を添えて送った。
彼らの国は一度行ったことがあるから何とか正しく魔方陣に吸い込ませることができた。
でも彼らはオレがいる国に手紙を返すことはできないだろう。
次元を移動させる能力を持った人はいても正しくこの国のオレの元に手紙を送ることは容易なことではない。
すっかり冷めてしまった紅茶を飲みながら羽根ペンを見て苦笑する。
この国で羽根ペンなんて使っているのは、たぶんオレくらいだ。
もしかしたら手紙なんて送るべきじゃないのかもしれない。
別の次元で時間の流れも違うのに、こんな一方的なことをして、なんて恥ずかしい。
彼らの国はもう滅びてしまっているかもしれないというのに。
でも、それでもいい。
この手紙とこの花が届いて、あの人たちが笑ってくれたらと思うだけでもいい。
ずっとオレを守ってくれていたあの人が、無理やりオレを生かしたあの人が、本当の強さを手に入れたあの人が泣きそうになるくらい悲しんだ別れを、そうではないと言うために。
ちゃんとやっていけているよ、きみはどうかな、またまわりを困らせてない?
描き終えた手紙と丁寧に紙に包んだ花を封筒に入れて魔方陣に放り込んだ。
行き先は間違っていない。でも時間までは決められない。
ある国の未来を変えてしまったとき、次元だけでなく時間までも違う国があると知った。
もしかしたら同じ次元の違う時間軸の中に落ちて、この手紙を見た君は子供の落書きだと思って破いて捨ててしまうかもしれない。
その時間の君はオレを知らないかもしれないから。
それでもいい。
笑ってくれるかな。変な絵だって言って、笑ってくれたらいいな。
もう会えないけれど、オレを知らない君かもしれないけれど、笑ってくれたら、せめて笑ってくれたら、それでいいや。
End
街は古ぼけてないけど