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※転生ネタ
誰も寝てはならぬ
夜になっても明るい街で、黒鋼はひとり手持ち無沙汰に市街を観光して歩いていた。
久々の海外旅行で多少なりとも緊張していたが、どこへ行ってもいるのは同じ人間だ。
外国人である自分が夜の街を歩くことにはある程度の危険も覚悟していたが、黒鋼は体格が大柄で人相も悪いので、むしろ女性や子どもには避けられていた。
最初に北京に旅行に行きたいと言い出したのは、黒鋼の親戚である知世だった。
夏休みを利用して友人のさくらと小狼と一緒に近場で資金も少なくてすむ北京に3人で行きたい、と。
しかしまだ高校生である彼女らの親は子どもだけで海外旅行になんて行かせられないと反対し、それなら黒鋼を保護者に連れて行きますと知世が勝手に決めてしまった。
何の話も通さずに旅行の同行者にされてしまった黒鋼は不満を言いはしたが、知世の家には昔から世話になっているし、さくらや小狼とも幼い頃からの知り合いだったので、
仕事の休みを取って3人を連れて北京へとやって来た。
保護者という名目ではあったものの、知世達は黒鋼が何もしなくても飛行機のチケットを取り、ホテルを予約して、観光ルートを予定していた。
それに従う形で今日は博物院などを見て回り、2泊3日の旅行の1日目が終了した。
小狼は歴史が好きらしく置いてあるもの全てに興味を示すので、いくら時間があっても足りないと黒鋼が小狼を引っ張って先へ進み、黒鋼が保護者の役割を全うしたのはそのときくらいだった。
無理やり連れてこられた旅行だったが、黒鋼自身も旅行は好きなので、次に行くときはもっと早く告げろと言ったのを最後にそれ以上は不平をこぼさなかった。
子どもらは日中はしゃぎすぎたために早々に寝入ってしまった。
部屋は知世とさくらが同じ部屋で、黒鋼は小狼と同室だった。
ホテルに着いた頃にはさくらはほとんど目が閉じかけていて、小狼が心配そうにしていたが本人も部屋に入ってシャワーを浴びると着替えもそこそこにベッドにもぐりこんでしまった。
まだ眠くはならない黒鋼は、せっかくだからと外へひとりで出てきた。
土産品などは明後日買う予定なので今日飲む酒でも買おうと思ったのだが、日本語以外の言葉は喋れないので店に入るのが少しためらわれていた。
観光地のため日本語を喋ることのできる店員もいるのだけど、どうにも黒鋼には上手く意思を伝えることができなかった。
日本でなら簡単にできることでも外国にいるという状況が行動の妨げになっていた。
それでも適当に歩いて見て回るだけでも楽しいので黒鋼は何も買わずに街を歩いていた。
夜でも人が多い通りで、聞き取ることのできない言葉は音楽のように聞こえた。
このまま気分良く部屋に戻って寝たら、きっといい夢が見られることだろう。
そろそろ戻ろうかと携帯で地図を確認していると、ふと通りの向こうの店先のテーブルでグラスを片手にしている金髪の男が視界に入った。
黒鋼には全く見覚えの無い見知らぬ男だった。
そのはずなのに、黒鋼はその男を見た瞬間に、あんなところで何をしているんだ、と思った。
それはただの疑問ではなかった。
あんなところで何をしているんだ、早くこっちへ来い、ホテルへ帰るぞ、と。
あたかもその男がこの旅行の参加者の1人であるかのような気がして、そんな気がした自分は気でも狂ったのかと黒鋼はうろたえた。
しかしあまりにも自然に、それこそ日常的なものとして浮かんだ言葉には偽りがないように思えた。
黒鋼には西洋人の知り合いはいない。
だから知り合いと見間違えることはあり得ないし、テレビで見た誰かと間違えたにせよ、こんな知人に対するようなせりふが浮かぶはずがない。
そんなこともあるだろうと脳の誤作動だと解決してホテルへ戻ろうとしても、どうしても足が動かない。
それどころか意志に反して通りの向こうへ渡ろうとしているのだ。
左右を見回して車が来ていないことを確認すると、足はあの男のもとへ向かおうとする。
その意志に従うとなぜだかとても心地よく、何よりも正しいことをしているような気持ちになった。
大きなトラックが来るのを見て急ぎ足で通りを渡りきると、ぐっと体がこわばるのを感じながら男の座るテーブルの後ろへ立った。
声をかけなければならない。しかし黒鋼は日本語しか喋ることができない。
この金髪の青年がどこの国の出身の者かはわからないが、中国に来ているのなら中国語は通じるのだろうか。
とは言っても黒鋼も挨拶程度の中国語しか理解できないのだから意味がない。
悩んだところで他国の言語がわかるようになるでもないので、意を決して黒鋼は男の肩を叩いて呼んだ。
「ちょっといいか」
呼ばれて振り向いた男はまだ若く、黒鋼と同じくらいの年に見えた。
夜の下でもきらきらと艶めく金髪の青年は黒鋼を見ると一瞬怯えたような表情をしたが、すぐににこやかに笑って言った。
「君は日本人だね?」
流暢な日本語を話すことに驚いた黒鋼に青年はおかしそうに笑った。
「日本語も英語も、フランス語もイタリア語もロシア語も中国語も話せるよ」
「そりゃ、すげぇな」
「色々探して回ったからねぇ。それで、何か用?」
何を探していたのか青年は言わなかったが、黒鋼は慌てていたので質問する余裕はなかった。
「いや、その、用というか。おまえ、俺とどこかで会ったことあるか?」
黒鋼は円滑なコミュニケーションの取り方を知らない。
相手をおだてる世辞も会話のきっかけになる話の種も言えずに、用件だけを端的に述べる。
それが自分の短所だとわかっているのに黒鋼には他人と愛想よく接することができない。
これまでこの短所に何度も困らされてきたが、今ほど困ったことはないだろうと思った。
「……どこかって、どこで?」
しかしそんな無愛想な黒鋼に臆することなく青年は席を立って黒鋼に目線を合わせようとした。
「悪い。会ったことがあるような気がしただけなんだ」
「そっか。じゃあ、音楽に興味はある?」
「いや、全く」
「んー、じゃあ、テレビとかポスターでオレのこと見た覚えは?」
「ない」
そう言うと青年はうつむいて何か考えているようだったが、すぐに顔を上げてどこか自嘲気味に笑った。
「オレは、君のことを、知ってるよ」
この笑い方にはひどく既視感を覚えた。
知っている、自分はこの青年を知っている。
そしてこの笑い方を、気に入らないと思っていたはずだ。
「だけど君が覚えていないなら、オレは君に何も言えない。君はずっとずっと昔の記憶に動かされてオレに声をかけただけなんだ。
だから君が望まない以上、オレは君に関わらない」
同じ言語のはずなのに何を言っているかわからなかったが、青年がわざとわからないように言っているのはわかった。
飲みかけだったワインらしきものを少しずつ飲みながら青年は続けた。
「オレが知ってるのは正確には君じゃない。だけど君がオレに声をかけたということは、君は君のままなんだろうね。
連れて行ったくせに置いていって、こんな風にまたオレに関わろうとするんだ」
青年の蒼い瞳がぼんやりと黒鋼に笑いかける。
隣の席に男女の組が座り、注文の声がうるさく響いた。
「オレの言ってることがわかんないなら、気にしなくていいよ。もう夜も遅いし、帰ったほうがいいんじゃない? オレのことは忘れていいから。二度と思い出さなくて、いいから」
グラスの中身を飲み干した青年が立ち去ろうとしたので、無意識のうちに黒鋼は青年の腕を掴んでいた。
戸惑った青年がやんわりと手をほどこうとするが黒鋼は離さなかった。
「わかるように話せ。おまえは何で俺のことを知ってるんだ」
「離して」
「言え。そしたら離してやる」
「一応、初対面のはずなのに強引だね。でも言えないよ。離して」
これがこの青年でなかったなら、すぐにでも手を離していただろう。
だが黒鋼は今この手を離したら生涯後悔の中で生きることになると確信していた。
困った顔で首を振る青年の腕をさらに強く掴むと、青年は痛みを訴えた。
それでも手を離さない黒鋼を見て青年は諦めたように息を吐いた。
「わかった、わかったよ。何で君はいつもそうなのかな」
片手をあげて降参のポーズを取る青年に黒鋼は少しだけ手の力を緩めてやった。
「けど、簡単には教えてあげないよ。これは昔の君への復讐だ。オレの出す問題に答えることができたら、全部教えてあげる。答えられなかったり、一度でも間違えたりしたら打ち首、
とまでは言わないけど、それで終わり。もうオレは二度と君の前には現れない。いいね?」
うなずくと、青年はちょっとは考えるとかしなよ、と呆れていた。
「問題はひとつだけ。とっても簡単。だけど今の君には難しいだろうし、オレは君が答えることができなければいいと思ってる。それを踏まえて聞いてね。さぁ、問題です」
青年の深い海のような色をした瞳が揺れて、これは動揺だ、と黒鋼にも見て取れた。
車の走る重たい音が消え、青年の静かな声だけが黒鋼の耳に落ちた。
「オレの名前はなんでしょう?」
後編に続く