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ちるのにっき 今日も太陽は雲の向こうに隠れてしまってどんよりしている。 夕方には雨かな、とチルノは博麗神社の倉庫で空を見ながら思った。 何か珍しいものがあるかもしれないと勝手に倉庫を物色していたのだが、米俵や酒瓶、縄や着物の他には漢字がいっぱいの 難しそうな書物があるばかりだった。 霊夢が読んでいるのだろうか、霊夢はこれを読んで修行したのだろうか、こんなにたくさん本を読んでいるから彼女はあんなに強いのだろうか。 ばかな妖精には本を開いても、それが文字だということしかわからない。 でも頭が良くなれば体も強くなるかもしれない。 霊夢や魔理沙はよく本を読んでいるし、強い奴らはみんな難しいことを言っている。 こてんぱんに倒されて泣きながら帰った日を思い出してチルノは復讐の光景を思い浮かべた。 あの巫女や魔法使いが自分の前で土下座して謝り、そのおろかな人間のために人差し指を立ててありがたいお説教をしてやる光景。 想像するだけでお腹の奥から笑いがこみ上げてきたので、さっそくチルノは慧音に会うために寺子屋へ向かった。 人間の里にはあまり来ないけれど人間たちはそんなに妖精を怖がったりしない。 それがちょっと気に食わないけれど、チルノは堂々と寺子屋の前に立った。 子供たちが妖精だ妖精だとはやし立てるのを威嚇しながら大声で慧音を呼ぶ。 騒ぎを聞きつけた慧音は子供たちを教室に戻るよう指示し、チルノを別の部屋に案内した。 「妖精さんが何の用かな」 慧音は穏やかにチルノに尋ねる。 チルノは出されたお菓子にも手を付けず、背筋を伸ばして言った。 「字を教えてほしい!」 すると慧音は少し驚いたようだったが、やがて微笑みうなずいた。 けれどその瞳には冷たい灰色の憐憫が込められている。 それに気づけないチルノは賢くなって強くなってみんなを見返すのだと興奮気味にしゃべり出した。 きらきら期待に満ちた嬉しそうな表情に慧音はほんとうに悲しくなって一瞬だけうつむいてしまった。 「じゃあ、教えてやるからちゃんと毎日来るんだぞ」 「だいじょうぶ! あたい1日でおぼえるし!」 意気揚々と手を振りチルノは湖に帰った。 慧音との約束は、夕方に来ること、子供たちと喧嘩しないこと、まじめにやること、帰ったら必ず復習することだった。 きっとほかの妖精の中でも字を覚えるのは自分だけだ。 自慢してやろう、目の前で本を音読してやろう、そうすればみんなチルノちゃんすごい!と尊敬するに違いない。 そんなことを考えてばかりでその日チルノはぜんぜん眠れなかった。 翌日、昨晩から降り出した雨は止む気配を見せずごうごうと地面を掘り起こしていた。 嵐のような雨の中チルノはびしょぬれになって慧音のもとへやってきた。 「来ないかと思ったのに」 タオルでチルノを拭きながら慧音が言うと、約束だからと力強く言った。 慧音はもうこの妖精を哀れんだりしないと決めていた。 チルノはまじめに勉強して、毎日少しずつ字を覚えていった。 子供たちにも賞賛されて誇らしそうに寺子屋に通う。 なぜあんなにあっさりと字を教えることを慧音が快諾したのか、なぜイタズラを疑われなかったのか、なぜ慧音はこんなにやさしくしてくれるのか、 妖精は何も気付かないまま時間だけが過ぎていった。 「もうひらがなは全部覚えたな」 いびつな形だけどチルノは言葉を文字にすることができるようになっていた。 えっへんとチルノが胸をはって書いた字を見せていると、寺子屋の生徒の一人がやってきた。 「せんせい、学級日誌、かけたよ」 女の子は紐でくくられた日誌を慧音に渡してチルノを見つけると、そばに駆け寄った。 「チルノちゃんが書いたの、それ」 「そうだよ!」 「へぇ、前よりずいぶん上手になったね」 その言葉を聞いて慧音はあっと声を上げたが、すぐに談笑し始めたので少女に悪意がないとわかるとばつが悪そうに苦笑した。 「わたしね、おうちでも日記つけてるの」 「にっき? あたいも書きたい!」 チルノにせがまれ慧音は紙を何枚か紐でまとめて新しい鉛筆と一緒に渡した。 喜んで受け取り今から書くと言って飛び去ったチルノを見送り、慧音は一言、どうか、とつぶやいた。 住処の湖に帰ってきたチルノは、森のほうの小さな洞穴へ入っていった。 チルノは宝物をいつもここに隠している。 森の魔法使いでも持って帰らないがらくたをたくさん集めて木箱に詰め込んで、ときどき眺めてご機嫌になるのだった。 表紙に大きく「にっき」と書いて、次のページには「けいねにじをおそわった」と書いた。 それを寝転がって見ていると自分は本当に天才になって気分になってくる。 何でもできる、誰よりも強い、誰よりも賢い、唯一の最強の妖精。 うふふと笑って起き上がり木箱を開けて日記を片付けようとすると、下にたまった葉っぱや石ころのそのまた下に、今持っている日記とよく似たものが見える。 ……あれ、これ、なんだっけ。 木箱をひっくり返してみると、なんと同じような日記が5冊も6冊も出てきた。 どれも同じく表紙には「にっき」と書かれている。 冷たい汗がチルノの額を伝い紙をぬらした。 次のページには、「けいねにじをおそわった」と書かれている。 だれがかいたんだ、こんなもの、まさか、そんな、あたいは、さいきょうの、てんさいの、ちがう、あたい、あたいは。 頭の中でぐるぐる回る文字はとても言葉とは思えなかった。 自尊心と達成感を打ち砕いたのはチルノ自身だった。 うずくまって涙をこぼす自分も情けなくて仕方なかった。 チルノは日記をぜんぶ凍らせて砕いてばらばらにして捨てた。 ほんとうはこのまま眠って都合よく忘れてしまいたかったけれど、生まれてしまった罪悪感は彼女を逃がしはしなかった。 暗くなってきた空へ飛び立ち寺子屋を目指す。 また忘れてしまう前にありがとうとごめんなさいを言わなければならない。 そして、もう二度と自分の頼みは聞いてくれるな、と。 ばかな妖精は過去の自分すら倒せなかった。 END
後味が悪くなってしまった