空間的狼少年

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悪魔の尻尾

堀鐔祭準備中の小狼ドッペルゲンガー騒ぎは、結局サクラや四月一日の勘違いということで収束した。
悪いのは早とちりした自分たちだけど、妙な情報を与えた侑子先生もひどい人だ、とサクラは古典の授業中にくすりと笑った。
本当に小狼が死んでしまうと思って、とても怖かった。
けれど落ち着いてみると、四月一日やモコナたちが小狼のために必死で慌てたことを嬉しく思った。
堀鐔祭の準備は毎日放課後に行われている。
小狼や百目鬼など部活に行く生徒は途中から抜けることも多く、サクラとひまわりも部活のある日は主に帰宅部の人たちに任せて
いたが、今日は部活がなかったから、最後までみんなと準備をした。
準備は順調に進んでいる。だけど並行して面倒事も起きている。
女子はメイド、男子は執事ということで決まった喫茶店の出し物の衣装は、すべて生徒の手作りだ。
精密に作られた衣装はもうほとんどできあがっていて、今はリボンや装飾のボタンなんかを追加で取り付けている。
サクラに付けるリボンは、四月一日が作ってくれていた。
胸につける予定の、やわらかい素材のピンクのリボンで、とても気に入っていた。
それなのに、今日の準備中にそれは台無しにされてしまった。
サクラがひまわりと一緒に入り口の看板作りをしていたあいだに、机の上に置いてあったはずのリボンがなくなっていた。
誰に聞いても知らないと言われ、下校の音楽が流れ出しても見つからなかった。
みんなもう片づけを終えて帰りだした頃になって、ひとりの女生徒がサクラのそばへやって来て、耳元でささやくように言った。
 
「ロッカーのなかは探した?」

そして彼女は友達とくすくす笑い合いながら教室を出て行った。
嫌な予感がしながらも教室の後ろにある、自分のロッカーを開いた。
いったいいつ入れたのか、そこにはもともと置いてあった教科書類と、ぼろぼろに切り刻まれたピンクのリボンがあった。
自分が作ったものなら、まだ良かった。これは四月一日が自分のために作ってくれたものだ。
サクラはぎゅっとリボンの残骸を握り締めて涙をこらえた。

「サクラちゃん、それ……」

声をかけられて振り向くとひまわりが信じられないというような顔でリボンを見ていた。
誰にも言わないで、とサクラは首を振った。

「でも、それ、あの子たちがやったんだよね……?」

「だとしても、お願い。みんなには黙ってて」

まるで自分のことのように瞳を潤ませ、ひまわりがサクラの手に自分の手を重ねた。
みんなが協力して準備をしているこんなときにクラスの空気を悪くするようなことはしたくなかった。
それに、ほかの人にばかり頼るのも、嫌だった。

「サクラちゃん、リボン見つかったー?」

四月一日が机を片付けながらサクラに呼びかけた。
震えるサクラの肩をなでて、ひまわりがサクラを隠すように四月一日の方を向いた。

「それがね、何かの拍子で床に落ちたみたいで、さっきの掃除のときにゴミと一緒に捨てられちゃったらしいの」

「えぇ!? うーん、しかたないなぁ。じゃあもう一回、作り直すよ」

そう言って四月一日は笑ってくれた。
もしかしたら気付いていたかもしれないし、ぜんぜん気付いていないかもしれない。
そのあと片づけが終わるまでずっと、ひまわりはサクラのそばにいて、ぎこちなさをフォローしてくれた。
認めたくはなかったけれど、とても怖かった。
もっとひどいことをされたらどうしよう、自分ひとりの力では立ち向かえないようなことをされたとき、どうなってしまうのだろう。
まさか命を狙われるなんてことにまでは発展しないだろうけど、何もしないでいてはエスカレートするかもしれない。
そんなときの対処法を、サクラは知らなかった。

「ひとりにならない方がいいよ」

ひまわりはそう言ってサクラのそばを離れようとしなかった。
今は看板を空き教室へ片付けに行った四月一日を待つためにふたりで教室に残っている。
6時を過ぎてもまだ外は明るいくらいだ。
落書きのされたこげ茶色の机にもたれて静かな教室を見渡すと、突然全く知らない場所に来たみたいな感覚になった。
サクラはみんなのいる、みんなが好き勝手にお喋りをして眠たい目で授業を受ける教室が好きだった。
その場所でこんなに悲しいできごとが起こって、感じているのはたぶん、悲しみではなくて寂しさだ。
ひまわりが心配そうな目でサクラを見た。
できるなら、ひまわりに抱きついて頬にキスをして大丈夫と力強く言いたいけれど、それは少しおかしいような気がしたから、
明日も晴れだといいねと言った。

「お待たせー! そこで小狼と会ったから、連れてきたよ」

がらりと勢いよくドアが開いて四月一日が入ってきた。後ろには小狼と百目鬼もいる。

「じゃ、おれ達は鍵を返してから帰るから、小狼とサクラちゃんは先に帰ってなよ」

「え、でも……」

「いいから、いいから!」

最近、あんまりふたり一緒に帰れてないんだから、と四月一日に強引に押されてサクラと小狼は階段のところで3人と別れた。
職員室に向かう後姿を見送ったところで小狼がサクラをまっすぐに見つめた。

「暗い顔してる。何かあったのか?」

体がこわばるのを感じた。
ちゃんといつも通りの表情をしていられなかったことを後悔した。
言いたくない。小狼にまで悲しい思いはさせたくない。だけど嘘もつきたくない。
電気の消えた暗い階段でうつむくと、嘘も本当も何にも見えなくなってしまったような気がした。

「何かあったなら言って欲しい。おれにもできることがあるかもしれないから」

ぎゅっと両手を握り締めた。
言えたらいい。けれど言葉を忘れてしまったみたいに然るべき言葉が出てこない。

「サクラ、黙ってたらわからないよ」

「小狼君だって……」

「え?」

「小狼君だって、小龍君のこと、黙ってたじゃない」

違う。こんなこと言いたくない。
小狼が息をつめるのが空気を通して伝わった。
これじゃ本末転倒だ、こんなことなら早く打ち明けてしまったらよかった。

「……ごめんなさい。わたし、まだ用事があったの。先に帰ってて」

そう言って小狼の横を抜けて階段を駆け上がった。
引き止める声が聞こえたけれど足は止まらなかった。
ばたばたと乱暴に、小狼から遠ざかることだけを考えて廊下を駆けた。
小狼が追いかけてこないことに安堵と落胆を感じながら広い校舎を進んでいると、いきなりぐいと腕を引かれて無理やり立ち止まされた。
よく知った顔に瞬間的に身を引いたけれど、そのひとは小狼ではなかった。

「こんな時間にそんな顔して、どうしたんだ?」

小狼とそっくりだけど全然違っている、彼は小龍だった。
驚いて口ごもっていると小龍は校舎の外に目をやり、少しだけ表情を和らげた。

「小狼とけんかでもしたか?」

「……違うの」

暗い声だと感じた。
自分本位で思いやりのない、醜い声だと。

「わたしが一方的にひどいことを言っただけなの。小狼君はちっとも悪くない」

小龍は何だそんなこと、と言う風にまばたきした。
彼は小狼と同じ日に生まれたはずなのに、小狼よりも大人びている。
大人びているというよりは、早く大人に近づこうとしている、と言うのが正しいかもしれない。

「なら早く謝らないとな。小狼はまじめだから、気にしてるだろうし」

罪悪感に胸が詰まった。
すぐにでも小狼のもとへ戻って謝りたかった。
だけど先に帰ってと告げてから時間が経っているから、もう小狼は帰ってしまっただろう。
電話をしなければ、と思ったが、小龍が指先で窓を軽く叩いて言った。

「小狼なら校門で待ってるよ。まじめな奴だから」

はじけたように窓の外を見た。
暗くて人の姿は見えないけれど、小龍は嘘をつくようなひとではない。
小龍が繰り返し言った通り小狼はとてもまじめだ。
でも、だからという理由で小狼がサクラを置いて帰らなかったというわけではないことが、サクラにはよくわかっていた。

「わたし……」

「早く行った方がいい。おれはまだ先生に用事があるから帰れないって伝えておいてくれ」

小龍にお礼を言ってサクラは早足で校舎を出た。
校門に近づくと人影が見えて緊張して、それが小狼だとわかった瞬間に足が止まった。
サクラはあまり他人と喧嘩をしたことがない。だからこんなときに何と言うべきなのかわからない。
兄とは幼い頃からしょっちゅう喧嘩をしているけれど、家族との喧嘩なんて夕食のときにはなかったことにされてしまうものだ。
それに、小狼はもう友達じゃない。
もっと大事な、特別なひとだ。
意を決して足を踏み出すと、強い風が吹いて木々が葉を鳴らした。
その音に反応したのかどうかはわからないが、小狼が振り返ってサクラを見つけた。

「さくら……。ごめん、あのままじゃ帰れなくて」

気まずそうに小狼が頭に手をやったのを見て、小狼も自分と同じく喧嘩慣れ、いや、仲直り慣れしていないんだなぁと思った。
駆け寄って彼が口を開く前に勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい! 小狼君は心配してくれたのに、わたし、あんなこと言って……」

すると小狼が慌てて同じように頭を下げる。

「いや、おれも、ごめん。さくらにだって言いたくないことはあるのに、無理に聞こうとして……」

そして恐る恐る視線を上げて、窺うような瞳がかち合うと、照れ笑いで姿勢をもとに戻した。
謝ったのなら今日のできごとも全部話すべきかと悩んだが、今はまだ黙っておくことにした。
言いたくないことも許してくれた小狼に心の中で感謝して、もう少しだけ待ってと付け足した。

「小龍君に会ったの。まだ用事があるって」

「そっか……さくら、兄さんのことは、黙ってたわけじゃなくて」

「わかってる。ごめんなさい」

「あ……いや……」

小狼はちゃんと弁解したのに黙っているわたしは卑怯者だ、と胸が痛んだ。
自分たちはまだまだ未熟者だ。
小さな齟齬でも破綻してしまうくらい脆弱で、全然わかりあえていない。
けれど未熟だからこそ修復も早く、いくらでもやり直せる。
ひとつひとつをちゃんとやっていこうと思った。
今日のことも、サクラがちゃんと解決すれば小狼やひまわりにいらぬ心配をかけなくてすむのだ。
しっかりして、卑劣なやり方に屈せず向き合えばきっとすぐに平和になる。
そのときには小狼とももっとわかり合えているはずだ。
希望を考えている内は嫌なことなんてどこにもなく、少なくとも小狼といるあいだはそうしていなければならない。
きっと大丈夫、と自分に言い聞かせてふたり並べばどんどん力がわいてくる気がした。
やさしい小狼の微笑みに少し泣きそうになりながらも大丈夫と何度も自分に言い聞かせた。

続く

次回、堀鐔祭