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冷たい茶碗蒸し 仕事が終わって携帯を開くと、メールが一件来ていた。 早乙女からで、今日お前の家に行くから仕事終わったらメールして、と。 簡潔な文章と一方的な申し出を見つめ、返信画面を開いて断る気がまったくない自分に笹塚は苦笑した。 ついでにアイス買ってきて。 そう送るとすぐに返事が返ってきた。 何のアイス? すこし考えて笹塚はバニラと送った。 鈴虫が鳴く、涼やかな夜だった。 家に帰るとアパートの入り口の前で早乙女が立っていて、笹塚を見つけると人相に似合わない嬉しそうな顔で「よぉ」と 手を上げた。 スーパーの袋を提げた、暗闇に溶ける黒いスーツの早乙女を見たとき、笹塚はなぜかこれまでのひどい疲労が一気に 消え去るのを感じていた。 刑事としての肩書きから解放され、何にも分類されない自分に戻れたような安心感と、千年も前から離れ離れになった この男とようやく会えたかのような安堵感。 どうしてこんな気持ちになるのかは分からないけど、それは何だかおかしなことのようで、笹塚はそのままその感情を 受け入れていた。 部屋に入ると早乙女はさっそくテーブルの上に買ってきた品物を並べ始めた。 「アイス、ちょっと溶けてるかも」 カップのバニラと、早乙女は自分用にあずきのアイスを買っていた。 ソファに座ってあずきのアイスをかじる早乙女を見て、あずきも良いなと思いながら笹塚は木のスプーンでバニラをすくった。 少しだけ溶けていて、口に入れると甘い味と木の匂いが舌に広がった。 「あと焼き鳥と茶碗蒸しも買ってきたから食えよ」 「変な組み合わせだな」 そう言うと早乙女は、最初にアイス食うのもおかしいよなと笑った。 それから二人で並んでソファに座ってテレビをみながら雑談を交わし、冷えたままの茶碗蒸しを食べた。 笹塚はいつもは温めてから食べるのだが、早乙女が冷たいままでもおいしいからと言うので試しにそのまま食べてみると、 本当においしかった。 しょげたみたいなしいたけとか、色の通りの味のかまぼことか。 熱さを気にせず食べられる気軽さも、笹塚は気に入った。 「今日さ、仕事行く途中で変な奴をみたんだ」 テレビがCMになると茶碗蒸しを食べ終えた早乙女は、足を組んで偉そうな格好で喋り出した。 「ギター持って、その辺の人たちに誰構わず話しかけてるんだ。僕とバンドを組んでくださいって、言ってまわってんの。 それでさ、あ、始まった」 中途半端に終わった話を笹塚は追求せず、早乙女が夢中になっているバラエティ番組に目を向けた。 クイズに失敗すると水中に落とされるという番組。 早乙女はゲストの女優が好きらしくて、応援もしたいが水に落ちる彼女の姿も見たいとわがままを言っている。 若手芸人の女優を揶揄する発言に憤慨して笹塚の肩をゆする早乙女を払いのけて、笹塚はお茶を入れに台所に立った。 どうして自分はこの男といるとこんなにも満たされてしまうのだろう、笹塚はため息をついてそう考えた。 早乙女といれば必ず共に食事をするし、セックスもするし、そうなれば当然一緒に眠ることになる。 これまでの笹塚にはありえなかったことだが、一人でいるときよりも生命力が沸く気がするのだ。 今までと比べて健康的な生活になったのだからそうだろうと思いもしたが、それ以上にもっと別の何かが作用しているように 思えてならない。 温かいお茶をふたつ用意して、もう一度浅いため息をつく。 もし早乙女がいなくなったら自分はどうなってしまうのだろう、廃人のようになりはしないだろうか。 そんな懸念が頭に浮かんだけれど、こんな図太く図々しい男が簡単にいなくなりはしないだろうと思い直して、早乙女のいる 部屋へと戻った。 End 3日前