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とりかえばや ファイとユゥイは、生まれたときから何もかも同じだった。 時間に少々の違いはあるけれど、同じ日に、同じ人から同じように生まれてきた。 親でも見分けの付かない顔と声で、一寸の狂いもなく。 色違いのおそろいの服を着て、同じものを好んで、同じものを嫌った。 同じでいること、それが幼い彼らにとって何よりも正しいことだった。 ファイとユゥイの近所には、小学生だった彼らよりも少し小さい女の子が住んでいた。 ちょうど日本にいた頃で、女の子は団地の子供だった。 本名は知らないけれど、みんな彼女を「ちぃちゃん」と呼んでいた。 ちぃちゃんは変わった子で、ファイとユゥイには詳しい情報が入らなかったが、両親もいないらしかった。 ファイとユゥイはいつの間にかちぃちゃんとよく遊ぶようになっていた。 ちぃちゃんはいつもひとりでいたから、ファイとユゥイは彼女を見かけるとすぐに駆け寄った。 3人はいろんな遊びをした。 鬼ごっこ、かくれんぼ、影踏み、ボール遊び、思いつく遊びは何でもやった。 塀に登ったり、柵のない用水路の周りを走ったりと、危ない遊びもかなりやっていた。 しかしよく覚えているのはどんな遊びをしたかよりも、ちぃちゃんがとてもかわいかったということだった。 当時のファイとユゥイは彼女の魅力が何なのかなんて全く理解していなかったが、ただ彼女ともっと仲良くなりたくて仕方がなかった。 眠るとき、ふたりで毛布を頭からかぶって、これってつまり好きってことかな? と話し合った。 きっとそうだよ、ぼくらと同じような状況が本にもあったもの、その主人公は仲良くなりたい女の子に好きって言ってたよ。 真剣に話し合った結果、ふたりはちぃちゃんに告白することにした。 次の日、学校が終わると教室を飛び出してちぃちゃんのところへ走った。 そしてふたり並んで声をそろえて、ちぃちゃんに好きと叫んだ。 彼女はきょとんとふたりを見つめていたが、やがて穏やかに笑って、ちぃもふたりが好きと言った。 ファイとユゥイは歓喜して抱き合った。 しかしそれからは、だからどうという変化もなく、ただ以前と同じく3人で遊んだだけだった。 ファイとユゥイはその1年後にイタリアへ引っ越し、ちぃちゃんとはもう会うことはなかった。 奇妙な初恋だったと、ファイは思った。 ぼんやりと化学準備室の窓から、体育の授業が終わり校舎に帰っていく校庭の生徒を眺め、熱いコーヒーを静かにすする。 ふたり同時に、しかも声をそろえての告白なんて。 どちらかしか選ばれないなんて考えはふたりにはなかった。 彼女はふたりともに好意を返すか、どちらにも返さないかしかしないと思っていた。 それをおかしいことだとか、間違いだとかは考えなかったし、今でも考えていない。 さっきまでパソコンでしていた仕事を保存してファイは伸びをした。 そろそろだ、と思うと同時にノックの音がした。 「黒たん先生、お疲れ様」 扉を開いて訪問者を招き入れる。 以前はノックなんてせず無遠慮に扉を開け放っていた黒鋼だったが、びっくりしたファイが薬品の入った瓶を落として割ってしまった ことから、その後はちゃんとノックしてくれるようになった。 「調子はどうだ」 「体はなんともないよ」 朝は面倒くさそうにしていたくせに、こうして昼休みには様子を見に来てくれることに喜びと、複雑な気持ちを感じた。 ファイは今、ユゥイだ。 本当に彼が心配したのはユゥイの方なのかもしれない。 黒鋼はたぶんそんな細かいことは気にしていなくて、ファイかユゥイ、どちらかに会えれば戻ったかどうかが確かめられるとしか考え ていないだろうけど。 「変な感じだな」 「何が?」 「おまえ」 「今のオレは、オレじゃないからね」 そう言って笑うと、彼はぴくりとも表情を変えずファイに近寄り手を伸ばした。 頬に触れるというところで、その手を払いのける。 「ユゥイの体だから。さわらないで」 黒鋼は少し不機嫌そうに目線をそらし、早く元に戻れ、と言って出て行った。 その言葉は胸がじわりと暖かくなるほど優しいものなのに、今のファイは素直に受け取ることができなかった。 そう言われて喜んでいるのはまるでユゥイのような気がした。 慣れない長い髪を片手でいじりながら黒鋼のことを考えていると、黒鋼のことが好きなのはユゥイの方で、ファイは全くの部外者で あるような疎外感があった。 確かに黒鋼のことを考えているのはファイなのに、考えている脳はユゥイのものなのだ。 それがいったいどういうことなのかわからなかった。 ファイは今までのファイの記憶を所有していて、思考も紛れもなくファイのもの。 それなのに動いているのはユゥイの脳であるのが、恐ろしかった。 黒鋼のことを考えれば考えるほど、その好意がユゥイの脳に刷り込まれていく気がした。 だから本当は、今は黒鋼に会いたくなかった。 この感情と思考がユゥイのものになってしまうのが怖い。 もとに戻ったときに刷り込まれた黒鋼への感情がユゥイのものになってしまったら、もうファイにはどうしようもない。 同じ人を好きになったのは、あのときだけではなかった。 付き合った女の子が実は少し前にユゥイと付き合っていた子だったなんてこともあったし、その逆もあった。 同じでいることが正しいとはもう言えなくなっていたけれど、間違いだとも言えなかった。 結果が同じだったって、選んだのはファイでありユゥイだから。 けれど今は同じでいたくなかった。 ファイと同じ気持ちを持ったユゥイが黒鋼に近づいたとしたら、ファイはすぐにのけ者にされてしまうだろう。 黒鋼はもともとファイのようなうるさくて、余計なことばかりする、お祭り好きの人間は嫌いなのだ。 だからファイとユゥイのどちらを選ぶかと言われたら、ユゥイを選ぶのは当然だ。 これまでならファイが好意を持っている人でも、その人がユゥイがいいと言えば未練なく身を引くことができた。 でももう、それができない。 黒鋼が家のために女性と結婚するとか、そういう類のものであればファイは何も異論を唱える気はない。 でも、ユゥイにだけは譲れない。 同じ顔なら、同じ声なら、なぜ自分じゃないのかと嘆いてしまう。 そんな気持ちを持ってしまう自分がたまらなく嫌だったが、それを認めずにいれば本当に黒鋼はファイから離れてしまうかもしれない。 他の事を考えよう、とファイは仕事を再開した。 昼食は余計なことを考えてしまうからとらないことにした。 ユゥイは今頃なにをしているだろう。 更なる面倒ごとを起こさないためにもファイは一切この準備室から出ないようにしていたから、ユゥイが何をしているのか全く把握し ていない。 黒鋼とは、何か話しただろうか。 ファイの体で、何を考えているだろうか。 ふたりが入れ替わった原因が「入れ替わってみたいね」といたずらに言葉にしてしまったからなのは疑いようがなかった。 心に秘めておくだけだったならこんなことにはならなかった。 もし自分がユゥイのような人間だったなら、黒鋼はもっと自分を好いてくれていただろうかと、そんな考えがいつもファイの中にあった。 物静かで器量がよくて穏やかな、ユゥイのような人間だったなら。 でもそれが原因で入れ替わったのならばユゥイもやはりファイになりたいと思っていたのだろうか。 どうしてだろう、やっぱりユゥイも、そうなのだろうか? 動揺させる可能性ばかりがあふれてたまっていく。 昼休みの明るいざわめきの音を聞きながらファイはわざと悲しそうにまばたきしてみせた。 続く