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※堀鍔 26.最後の砦 自販機で買ったホットココアのあたたかな甘みがじわりと舌に吸い込まれていった。 数口飲んでココアをひとまず机に置いて、小龍はユゥイの仕事の様子を観察した。 ユゥイが放課後に明日の調理実習の準備をすると聞いて、部活に顔も見せず家庭科室にやって来た。 部活に行きなさいとか、見ていて面白いものでもないからとか言って追い出そうとするユゥイの言葉も軽く受け流して真ん中あたりの席に座ってじっと彼を見た。 準備は確かに見ていて面白いものではなかった。 けれど小龍が見ているのは準備風景ではなくユゥイ自身だから、何も問題はない。 動くたびに揺れる後ろ髪とか、器材をつかむ細長い指とか、いつまでも見ていられると思った。 「あのー、そろそろ部活行かないの?」 あんまり真剣に見つめるものだから、ユゥイが困ったように作業を中断して小龍に声をかけた。 集中していたせいで一瞬、ユゥイが誰に向かって話しかけているのかわからなかった。 「大丈夫です。言い訳は考えてありますから」 「そういう問題じゃないよね」 「おれがここにいるのが問題なら、無理やり引っ張り出してください」 どうぞ、と手を差し出したが、ユゥイは苦笑して首を振った。 「困った子だね。こんなに意志が強いとは思わなかったよ」 腰に手を当てたユゥイが小龍の前に立つ。 彼は背が高いから、座っている小龍はずいぶん見下ろされる形になる。 「でも、こういうところは、まだまだ子供なんだね」 ユゥイの冷えた手が小龍の首筋をなでた。 その冷たさに体を強張らせると、ユゥイは嘲笑うような息を吐いた。 「見てるだけで、何もしないなんてね」 馬鹿にするような態度にむっとした小龍が首の手を取り握り締めユゥイを見上げる。 「あんまり舐めてると痛い目見ますよ」 精一杯、男らしく告げたつもりだったのに、ユゥイはおかしそうに笑った。 「いいよ。痛い目見せてみてよ」 そしてふっと淫楽で瞳を染めて、小龍の耳に口を近づけた。 「できるのなら、ね?」 その一声で小龍は総毛立ち、視線さえ動かすことができなくなってしまった。 冷えた指とは対称的に熱い吐息が耳に吹き込まれ、顔が火照るのを感じて慌てて席を立った。 年の差というものを決定的に、そして屈辱的に見せ付けられ、悔しさで唇をかみ締めた。 「……部活に行きます」 「もう行っちゃうの? ひとりで作業するの、寂しいなぁ」 さっきまでは迷惑そうにしてたくせに、とわざとらしく微笑むユゥイを睨んだが、穏やかさを崩すこともできなかった。 また来ますとだけ言って家庭科室を出て、深く息をついた。 難しい、強い、大きい、遠い、わからない。 そんな単語が頭に浮かんでは消えて、人間関係の複雑さに頭痛を感じた。 それでもまだまだ自分は成長途中なのだから、きっとこれからもっと上手にやれるはずだ。 そう勇気付けて顔を上げたところで、隣に人の気配を感じた。 「ユゥイも結構やるよねぇ」 「うわっ」 いつの間にか、隣にファイが立っていた。 ユゥイと同じ顔だけど全然違う性格をしている。 「でもあれ、計算だから。ユゥイの十八番だから」 小龍に微笑む笑顔も、やっぱりユゥイのそれとは全く違っている。 彼らの笑顔には時々恐怖を感じるが、その意味合いは大きく異なっているのだ。 今のファイの笑顔は、一番危険な笑顔だ。 「ユゥイにあんな風に触れてもらえたからって、調子に乗っちゃだめだよー?」 天使の笑顔で悪魔の意図。 そんな言葉が小龍の頭をよぎった。 何よりもまずどうにかしないといけないのは、この人なのかもしれない。 強固な砦を前に、どう攻略すればいいのかと小龍は頭を抱えた。 END