空間的狼少年

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好きか嫌いか、と聞かれたから好きだと言っただけのことである


その刑事は我が事務所を訪れ、挨拶もろくにせずに、我が輩に尋ねた。

「あのさ、俺のこと、好きか嫌いかで言うと、どっち?」

息を切らしているので、相当急いで来たらしいが。
開け放たれた扉に手をつき、中に入るよう促してもそこを動かない。

「好きか嫌いか、って…そんなの好きに決まってるじゃないですか!」

仕方がないのでその場で答えた。
とびきりの愛想笑いとよそ行きの声で。
するとその刑事は暫時動きを止め、呼吸さえしなくなった。
不振に思って声をかけようと思ったとき、刑事はようやく声を発した。

「あー、うん、そっか。ありがとう、邪魔してごめん、じゃあ」

別れを告げると、ふらふらとおぼつかない足取りで背を向けて去っていった。
ぽつりと残された我が輩は今のは何だったのか全く分からなくて、首を傾げることしかできなかった。
快活な奴隷に経緯を話し、彼の行動の理由を推測させると一言。

「春だからじゃない?」

と不満そうに答えた。
それもやはり理解できなくて、だから彼らは人間なのだろうと勝手に結論付けて無理矢理解決させた。



遣らず雨ふれふれ   


探偵事務所を訪れて、数時間後に雨が降り始めた。
梅雨時だから雨が多いのは納得がいくが、天気予報は晴れだったことには納得がいかない。
更に、運の悪いことに本日は徒歩。
今日は車の上で猫が寝ていたから起こすのも面倒だと思って放置したのだった。
あの猫は濡れてはいないだろうか。

「おや、凄い雨ですね。それに真っ暗、これでは帰れませんね」

窓の外を眺めながらネウロは第三者の目線で呟く。
そろそろ帰ろうと思っていた矢先なので、もう少し早く出ていたらと思うと不幸中の幸いかと少しだけ喜んでおく。

「悪い、傘貸してくれねぇか」

「傘はありません」

無理な頼みではないだろうと思い込んでいたため、この切り替えしには少々戸惑った。

「え、ないの?」

再度確かめると彼は笑みを絶やさず、やはり、ありませんと答えた。
彼は車を持っていなかったはずだから、タクシーでも捕まえるかと妥協案を掻き集めていると、彼が隣に座って言った。

「別に、帰らなくてもいいじゃないですか」

濡れずに帰る方法を模索する思考は途切れぬまま彼の言葉を聞いたため、意図がいまいち理解できなかった。
雨がやむまでここにいろということか、しかしすぐにやむような雨ではないようなのだが。

「泊まっていって下さい」

ふと、時代劇で侍を引き止める淑女の言い訳がこのような理由だったと思い出した。
こんな酷い雨ですから、どうぞお泊りになって下さい、と、

「いや、でもここ寝るところないじゃん。あんたいつもどうやって寝てるのか知らねーけど」

「じゃあ寝なきゃいいだけの話です」

ソファで寝ろと言うのかと思ったが、彼はどうしてこうも予想を清々しく裏切ってくれるのだろう。
反応に困っていると隣に座っていた彼が身を寄せて俺の頬に手をやり、

「雨は楽しいですね」

そう言って首に手を回して擦り寄ってくる。
妙に上機嫌の彼の髪を撫でて、轟く雷鳴を耳に入る前に遮断した。


霜雪記                          

さくさくと雪の中を歩いて私はお使いをしていた。
本当はこんな寒い日に出歩きたくないけど、お母さんがご褒美に本をくれるって言うから。
本という餌には勝てなくて、草履を濡らして歩いていた。
振り分け髪の少女は元気に駆けているけど、私にはそんな元気はない。
その途中、私はお寺の前で、不思議な男性に出会った。
背が高くて、髪の色がお月様みたいな人。

「こんにちは、今日も寒いですね」

あんまり端正な顔立ちだったから、挨拶をして前を通り過ぎる。
男性は少し驚いた顔をして、お辞儀をして笑顔をみせてくれた。
きっと、宮中にはあんな人がいっぱいいるんだろうなぁ。
向こうにそびえるお屋敷を羨んで先を急いだ。


しかし、彼はその日だけでなく、毎日お寺の前に立っている。
だけど通行人は誰も彼に目を当てないで、ひたすら前を向いて歩いている。
私はとうとう我慢できなくなって、彼の元へ駆け寄って尋ねた。

「何をしてるんですか?」

「人を、待ってるんですよ」

「誰を?」

「笹塚さん、という人です」

黒の前髪を揺らして、彼は答えた。
ここで待ち合わせをしてるんです、と彼は遠くを見て目を細めた。
何でも、彼の待ち人はいつも夜になるとここに現れるらしい。

「でも、どうしてこんな朝から?」

私がもう1つ質問すると、彼は曖昧に笑ってその場を濁した。
よく分からないけど、大人の事情があるのかもしれない。
そう思ってもやっぱり気になって、私はその夜、もう一度お寺の前に赴いた。
真っ暗な中に、彼はいつもと同じように立っていた。
こんな寒い夜に薄い布を被ったような格好でぼんやりと立っていた。
暫くすると、彼は突然破顔して、駆け出した。
その先を見ても、誰もいない。
けれど彼はその空間に喋りかけて、そこに誰かいるような素振りで闇と抱擁を交わす。
彼は、私には見えない何かを毎晩待っていたらしい。
この奇怪な光景を私は不気味とは思わず、月明かりの下の彼が、私の悲しい目に映った。


私が色々と調べた結果、笹塚という人は100年くらい前の帝だということが判明した。
その帝は彼が待ち合わせをしているお寺の下に埋葬されているらしい。
疑問に思うところはたくさんあるけれど、私はただ母にもらった読本に熱中した。
なかなか手に入らない、怪奇で夢幻的な短編集。
私がもしこんな本を書くとしたら、彼のお話を綺麗に纏め上げようと思った。