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なにも知らない人たち 秘密はいずれ暴かれるであろうことをファイは知っていた。 だけどファイの秘密はファイだけの秘密ではなかった。 ひとつ話してしまうと、共に旅をする人たちの過去まで明かすことになる。 だからファイは隠した。自分の願いのためだけではない。 旅に出る前は、一緒に旅をする人たちのことなんてどうでもいいと思っていたけれど、次元の魔女の元で少年の強い瞳を見て、その思いはすっかり変わってしまった。 もともとファイは他人に無関心でいられない人間なのだ。 まだ知らなくていいのなら、今は何も知らずにいて欲しかった。 今でさえ十分に苦しんでいる小狼を前にして、どうしてさらに苦しめるような真実を教える必要があるだろうか。 サクラだって、記憶をなくして不安でいっぱいなのに、あのやわらかい笑顔を奪うことなんてできない。 次元の魔女が何も言ってこないなら説明しなくてもいいということなのだろう。 必然と言う言葉が、それを成り立たせる者なしにはあり得ないとうことに彼らは気づいていないのだし。 もちろん自分の存在のあれこれの理由もあった。 不幸でないことが幸福ではないことをよく知っているから、ときどき泣きたくもなった。 幸も不幸も自分なしに起こることが寂しくて妬ましくて恐ろしくて、関わりたくて、離れたかった。 だからファイはぜんぶ隠した。隠し、ごまかし、嘘をついて一定の距離を保とうとした。 それなのに、ちゃんと隠せていたのに、あの男はファイを暴きにかかったのだ。 「そんな薄着でいたら、風邪ひくぞ」 黒鋼が声をかけると縁側で空に浮かぶ城を眺めていたファイが笑って振り向いた。 言葉の通じない国。戦いに明け暮れる毎日。 しゃべらなくなったファイを、人形のようだと黒鋼は思っていた。 「これ被ってろ」 薄い掛け布団をファイに投げると黒鋼は押入れから酒瓶を取り出した。 ファイが自分も、と目で訴えるので二人分用意する。 白い布を被ったファイが黒鋼の隣に座り、酒を飲んで嬉しそうに笑う。 この国でファイは笑う以外の表情を見せない。 それがいっそう人形を思わせ、黒鋼はまっすぐファイを見られなかった。 これ以外の表情を知らないんです、とでもいうように、敵の攻撃を受けても、敵を弓で撃っても、血を浴びても、笑顔を崩すことはなかった。 その上話しかけてもしゃべらないものだから味方からは気味悪がられ、その点ではある意味好都合だった。 「おまえ、なんでいつも笑ってるんだ?」 答えの返ってこないことをわかっていても尋ねずにはいられなかった。 にこにこと酒を飲み続けるファイにため息をついて一気に酒を飲み干した。 「黒さまは、頭が良くないみたいだね」 ファイが何を言おうが黒鋼には通じず、なんだという視線で返す。 「オレが隠してること、知りたい? こないだ聞いたアシュラ王のこと、聞きたい?」 ファイが顔を寄せると黒鋼は鬱陶しそうに押し戻す。 こんな完璧な笑顔なんて間近で見ていたいものではない。 「あの人はオレを連れ出してくれた人。でも狂ってしまったから、眠らせた」 黒鋼の肩にもたれかかってファイは声高に語りだした。 「谷底から連れ出される前に会ったのがこの旅を仕組んで監視してる人。黒るーも、仕組まれた中に入ってるんだけど、君は知らないみたいだね」 あまりに上機嫌に語るので黒鋼は不審に思った。 いつもの間延びした嘘くさいあの喋り方とは違う、もっとはっきりした、そして自嘲めいた口調に眉をひそめる。 何を隠していて、どれが嘘なのかわからないから黒鋼はファイを信用するつもりはなかった。 だが今の口調は笑顔とは裏腹に嘘のないように聞こえた。 「小狼君とサクラちゃんは、本物じゃないんだよ。いつか消えちゃう写身。本人も知らないみたいだけど」 「おまえは……」 「オレの本当の願いはアシュラ王から逃げ続けることなんかじゃない。あの子を生き返らせるために、君のこともいつか殺すことになるかもしれない」 「どうせおまえは、こんな時に限って重要なこと喋ってんだろうな」 かちりと目が合った。 本来の色とは違う、夜のような目。 やがてファイは人の良い笑みを浮かべて黒鋼の頬にキスをした。 「どう? 他には何が知りたい?」 「だがな、俺が知りたいのはおまえの過去だとかこの旅の理由なんかじゃねぇんだよ」 細い金色の髪に手を入れるとファイはくすぐったそうに黒鋼に抱きつく。 「でもね、オレも全てを知ってるわけじゃないんだ」 「俺はおまえの嘘が知りたいと思ってるわけじゃねぇ」 「次元の魔女さんなら、全部知ってるんだろうけど」 「おまえが俺に嘘をつくことが気にいらねぇだけだ」 白い腕が黒鋼の首に回され冷たい唇が額に落ちる。 夜の風に揺れる金の髪を黒鋼はうつくしいと思う。 「オレの知ってることを君に言えば、君は小狼君やサクラちゃんやモコナと上手に接することはできないだろうから、言わないよ」 「小僧や姫や白饅頭はおまえと違って嘘をつかないから、見てれば本質もわかる」 「君は何がいちばん知りたい?」 「俺が知りたいのは、おまえだ」 ファイは黒鋼の言葉を何一つ理解できないけれど、今の黒鋼の言葉はあまり良くないものだと感じた。 同じように黒鋼もファイの言葉を理解できないが、ファイがあまり良くないことを話しているのだと感じた。 黒鋼は面倒なことが嫌いだ。ややこしいことも嫌いだ。 ファイがあれこれ考えて生きようとしないことも、実際にゲームの世界で一度死んでしまったことも気に入らないと思っていた。 でもいったいどうしてどうでもいい人間なんかの生き方を気に入らないと感じるのかわからなくて、知りたいと思った。 しかしファイは嘘つきで本心を見せないから、口の下手な黒鋼には上手く問い質すこともできなければファイを見てファイを知ることも到底不可能だった。 だから率直に尋ねた。そしたらはぐらかされた。やっぱり気に入らなかった。 過去に何があったとか、どうしてそんなに嘘つきになったのかとか、そんなことはどうでもいい。 黒鋼にとって大事なのは、今のファイの本心だった。 それを知るのに過去が必要になったとしても、過去はもはや関係のないことだ。 「風が冷たくなってきたねぇ」 ふいと黒鋼から離れたファイが呟いた。 「早く、みんなと合流したいな」 ファイはもう、笑っていなかった。 羽根を手に入れ崩れる城から脱出し、落ちた場所で再会を祝った。 寂しかったよと言えばモコナも会いたかったと言う。 これ以上あの国にいるのは危ないとファイは心配していた。 言葉が通じないことに慣れてしまって、通じるようになったときついうっかりいらぬことを口走ってしまうかもしれないからだ。 最初、ファイは誰が何を知っていて何を隠しているのかを探っていた。 そして誰も何も知らないし隠していないことを確信すると、自分だけが知っているという事実をひっそりと嘆いた。 魔女の一手というくらいだから黒鋼も自分と同じくらいのことを知っていると思ったのに、なんにも知らない上に魔女の元へ来たのは自分の意思ではないと言う。 それなら黙っていようと思った。 いつか来る未来は悲惨なものであるかもしれないから、この旅くらいは楽しいものであればいい。 ファイは知らないふりをし続けた。 だけどファイもまた、知らないでいる。 ファイの嘘がファイの優しさであることを、彼らが知っているということを。 End