空間的狼少年

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モノクロピエロは悲観する

 
閑散とした世界の中で私は特に何かに影響をもたらすことなく大人しく自室の机に向かっている。
面白みのない周りの同級生と同じように、明日の宿題を終わらせようと必死になっている。
一問も解けない数学の問題がだんだん呪詛のように見えてくる。
数字が出た時点で文系の私にはすぐ拒絶反応が表れるのだ。
クラス全員に配布された数学のプリント。
答え合わせは明日。
確か数学の授業は5時間目だったはずだから、明日学校で友人の答えを写させてもらおうか。
そう思うと一気に曇っていた心が晴れ渡った。
名前の欄に桂木弥子と署名して、終了。
気が抜けたので、先ほどから流していたMDの音楽に耳を傾ける。
明るい希望を歌った曲がダカーポで戻ってリピート、転調してリタルダント、そしてフェルマータで終わった。
次の曲が始まる。
一転して暗い塊を歌った鉛灰色のメロディ。
私は、その歌の冒頭部分で涙を流す。
この悲しい歌の悲しい結末を知っているから、悲しくて、悲しくて。
不安定な私を取り巻いて幸せな失望を語りだすのだ。
 
 
翌日の朝、私の名前が書かれた私の事務所に寄った。
あまりゆっくりは出来ないが、どうしても彼に、会いたかった。
とても美しい、彼に。
 
「ねぇ、ネウロ。もし私が今数学の問題やって欲しいなーって言ったら・・・」
 
「引き受けてやらんこともないぞ、条件付きだが」
 
「だよねーネウロが善意で私を助けてくれるはずないもんねー」
 
この時の私は恐ろしいほど安定している。
何の不安も恐怖も絶望も抱いていない、ただここにある幸福を味わう。
這いずり回る悲しみに目もくれず飛び交う切なさを聞こえない振りで追いやって。
逃避だと罵られても私はその意見を真っ向から否定する。
正義なんて、倫理なんて、彼には必要ないのだから。
だから私にも必要ない。
幼稚な思考で何が悪い?
 
 
結局、数学のプリントは優しい友人の答えで完成した。
滞りなく学校を終え、補習を終えると夕方の5時を余裕で過ぎていた。
今日は事務所に行ってもたいしたことはできないだろう。
それでも私は嬉々として彼を目指す。
事務所の入り口、入ろうと思ったときによく知っている人物と出くわした。
 
「あれ、笹塚さん?どうしたんですか?」
 
「あぁ、弥子ちゃん、ちょっとお邪魔してたよ」
 
気だるい刑事さんは今日も気だるそうだ。
存在感の薄さを強調するようなテンションの低さ。
だけど少しだけいつもと違う。
無表情なのは普段と変わりないが、何かが。
 
「何か用事があったんですか?私じゃなくて、ネウロに」
 
核心を、突いたらしいのが分かった。
微弱な焦りが私の体を包んだから。
同時にどろどろしたコールタールのようなものが、私の奥で目覚めたから。
 
「笹塚さんダメですよ。ネウロと会っちゃ、ダメです」
 
「え、何で・・・?」
 
「私はネウロのもので、ネウロは私のものなんです。だから笹塚さんが介入する間なんてないんです」
 
私もこの人に負けず劣らず無表情だったと思う。
当然のことを告げただけだから、言葉もすらすら出てきた。
車の行き交う騒音や知らない人たちが繰り広げる物語が愚の骨頂に思える。
足元で右往左往する石ころ達でさえもっとマシなお話を聞かせてくれるのに。
 
「そういうことですから、用事があるときは私に言ってくださいね」
 
心からの愛想笑いを呆けている笹塚さんに渡して、私は再び彼を求める。
駆け足で扉を開けると、そこは私の理想郷。
紛れもない幸福に満たされた幻想。
私だけの。
 
「遅かったなヤコ。また補習か?」
 
「ごめんね、小テストで合格点取れなくてさー」
 
白黒の空気の中で鮮やかな光を放つのは、彼と私だけ。
 
「そういえば、笹塚さん、何しに来たの?」
 
その問いに彼は多少の戸惑いを露にする。
私が全てを悟るには充分過ぎるくらい。
 
「ねぇ、ネウロ、私はアンタのものだよね?」
 
「何だ突然・・・?」
 
「答えて、お願い」
 
怪しく黒光りする机の前まで歩み寄る。
この空間には、誰も入れさせなどしない。
 
「無論、貴様は我が輩の所有物だが」
 
迷いなくそう言う彼が、とても、好き。
 
「そうだよね、私の代わりは誰にもできないよね」
 
これは問いかけではない。
もう証明されたことだから、確かめる必要などない。
夕方の寂しさが窓の外で大手を振っている。
自信に満ち溢れた寂寥。
沈む太陽の隣で微笑む寂寞。
ここにいれば私は無縁でいられるモノたちだ。
 
「ネウロ、今日はどうする?今から謎探し行く?」
 
「ム、従順だな。なら仕方ない、行ってやろう」
 
どこまでも偉そうな彼が、とても好き。
私の主で、私の求める虚像。
外に出ると悲しい音楽が頬を掠めた。
だけど私は涙を流さない。
可哀想な結末なんて所詮人事。
彼がいる空間の中では、私は悲観することはない。
 
End