空間的狼少年

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「写真撮らせてくれない?」
 
太陽が容赦なく光で世界を包み込む午後に、笹塚がカメラを片手にやってきた。


めもりーず


「すいません、そういうのは先生だけでお願いします」
 
いつものように柔らかい物腰で拒否を訴える。
この世界では極力目立たぬよう努めているのに、写真など撮られてしまっては困る。
無表情で咥えタバコの笹塚を見ると、車で来たのかそれとも体質なのか、全く汗をかいていない。
外は炎天下、野良猫も路地裏で黙って日が落ちるのを待っている。
 
「あぁ、大丈夫、個人的にだから」
 
笹塚は片手でさらりと推し進める。
大丈夫ではないから断っているのに、なぜこの刑事には理解できないのだろうか。
己は人間の歳の取り方が違うから、何十年後にかその写真とその時の容姿が一致すれば問題になる。
異質である身を大々的にするのは愚行だ。
というか個人的にとは何だ。
 
「写真は、苦手なので…」
 
「いつもみたいに人畜無害な笑顔浮かべてればいーよ」
 
だから、よくないのに。
自分でも気持ち悪いくらい低姿勢で接しているのが原因なのか、ちっとも聞いてくれない。
相手がこの刑事でなければ力で済ませるのだが、他にもっともな理由を思いつけない。
 
「あの、どうして僕の写真を撮りたいのですか?」
 
勝手にソファに座っている笹塚の向かいに座り尋ねると、彼はカメラをいじりながら答える。
 
「んー、いや、何かあんたの物質的な証拠ってないな、って思って」
 
「物質的な証拠」
 
反芻して補足を促すと、笹塚は少しだけ面倒くさそうな目をした。
自分から抽象的な表現を使っておいて、その態度はないだろうと文句を言いたかったが、ぐっと堪える。
はじめから端的に説明していればよいものの、わざわざ換言を要するような表現を使うなんて、と。
 
「弥子ちゃんの写真は雑誌でもよく見るし、テレビにも出てたりするけど、あんたのはないんだよね」
 
レンズを覗き込んだまま、笹塚がこちらを向く。
とっさに両手を顔の前にかざして防護する。
レンズ越しに、彼は何を思って自分を見ているだろうと、少し気になった。
 
「だから、頼むよ」
 
いつかのために。
そう付け足してカメラを下げた笹塚の表情は、曇ったレンズのように不明瞭だった。
そのせいではないと必死で言い訳をしながら、自分は脳の奥で弾けた泡を集めていた。
 
「あー、でもいつもみたいなのは、胡散臭いな」
 
失礼だと思うのは心の隅で、大半では生まれ変わりそうな新しい泡をもとの形に戻すことで必死だった。
一粒でも色が変われば、それはもう別の泡となってしまう。
衝撃は無いに等しいのに、無意識の内で崩壊と創世と革命が起こっている。
そして彼は言う。
 
「なぁ、笑ってくれよ、幸せそうに。その瞬間を、俺にくれないかな」
 
恐らく深い意味などないだろうが、だからこそ真意であった。
その証拠に泡は、ノアの大洪水に巻き込まれたかのように一気に消えた。
大気中に一つの原子も残さずに。
次に新しく芽吹く泡が、発言権を欲している。
あなたが幸せそうに笑わないのに、どうして僕だけが笑えましょうか、と。
以前なら到底思いつかなかったであろう言葉に驚愕として、この人間の記憶に刻まれるのも悪くないと
思った事実に愕然とした。
シャッター音が響くまで、そう時間はかからないだろう。
一人で写ることが、せめてもの救いだ。
  
End