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台所事変 休日に笹塚の家に押しかけたら、昼前だと言うのに彼は食事の準備もせず読書に勤しんでいた。 聞けば朝も食べていないどころか、昨晩から何も食べていないという。 一応酒と塩を食べたと彼は言うのでそれは摂取しただけだと訂正してあげて、食材を買いに行った。 「何? あんたが作るの?」 「お前も手伝うんだよ」 とりあえず簡単なものが良いと思い、近場のスーパーで焼きそばの材料を買ってきた。 狭い台所はきれいに整頓されていたが、おそらくほとんど使用していないからなのだろう。 棚の隅にはほこりがたまっていて清潔とは言えない灰色の台所。 冷蔵庫には酒と調理せずに食べられるものが少し入っているだけで、彼は茶すら沸かさない。 自分も他人のことは言えないがもう少し彼は食に対して貪欲になってもいいのではないだろうか。 与えられなければ、彼は生きることさえ諦めてしまう。 フライパンを笹塚に温めさせる間に野菜を切り、ビニール袋を片付けていると肩を叩かれ呼ばれた。 「これ、もう焼いていい?」 「あぁ、焼いていいけど麺はまだ入れるなよ」 「……え、もう入れた」 ぽかんとした顔で麺2袋開けてフライパンに放り込んだ笹塚の頭をはたいてひとまず麺を取り出す。 「先に野菜と肉焼くんだよ! お前は焼きそばも作ったことねぇのか!」 「ない」 「あそ……母親の料理手伝ったりは?」 「妹はしてたけど、俺は全然」 キャベツと、にんじんと、もやしと、肉を二人分。 じゅうじゅうと肉の焼ける野生的な匂いがして、換気扇がごぉごぉ鳴って、野菜の水分がぱちぱちと油とはじける。 今から生きるのだと思える数少ない瞬間だ。 「なぁ、笹塚の母親って料理上手だった?」 「ん、まぁ、上手だったと思うよ」 適度に焼けて色の変わった肉と野菜を見て、避難させていた麺をほぐして入れる。 2人分を作るには、このフライパンは少し小さいかもしれない。 菜箸でいっぱいの焼きそばを混ぜて、粉末ソースをかけると、さっきまではただ焼かれていただけの 食材が一気に料理に近づいた匂いがする。 小さい台所の小さいフライパンを使っているため野菜が何度か飛び出し、その度に笹塚は嫌な顔をした。 「隠し味だ、そこのビール取れ」 「これ入れんの?」 ビールの缶を開けて、半分ほどフライパンに流し込む。 夏の夜に良く似た甘いような、苦いような香りが充満して、換気扇へと吸い込まれた。 じゅう、じゅう、一気に水分を得た料理は水っぽい音で焼かれていく。 この料理法は誰かから教わったわけではなくて、知らない誰かがしていたような記憶からできあがった。 俺の母親も、たぶん笹塚の母親も、もっと上品で暖かく緻密な料理をしていたはずだ。 完成した焼きそばは子供のころに食べた味とはかけ離れていて、本当に食べるだけの野蛮な料理であった。 かつおぶしも紅しょうがも乗っていないし盛り付けもいい加減だが、俺はこういう料理のほうが好きだ。 きれいにまん丸の洒落たケーキや、高級品を意識した場所で食べるステーキなんて、俺は嫌いだ。 「箸、ひとつしかないから、あんたその菜箸で食えよ」 「マジかよ……フォークは?」 「焼きそばをフォークで食うの?」 焼きそばの盛られた皿を手に不思議そうに瞬きする笹塚の様子がおかしかったので、俺は本当にフォークで食べた。 熱い麺をすするように必死になって、黙々と、けれど言葉がない代わりに認識だけが存在していた。 真昼の太陽をカーテンで遮って立場の違う男二人が同じ料理を食べるのは少し奇妙だが、その味は、とても美味であった。 そういえばこんな親密な料理を作ったのは初めてかもしれない。 (笹塚にうまかったかと聞いたら、店で食べる方がうまいと言ったので片付けは全部やらせた) End 隠し味が全然隠れてない