空間的狼少年

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※変なパラレル
※明治時代くらい	

蟻地獄 


生きていれば、奇妙な体験の1つや2つ、誰にでもあることでしょう。
人為的なもの、霊的なもの、超自然的なもの、種類はさまざまです。
ですが奇妙な体験と言っても、それは幼少時の勘違いかもしれないし、夢と現実を一緒にしてしまっただけなのかもしれません。
大人に聞かされた怖いお話と自分の体験を混ぜこぜにしたのかもしれないし、あるいは自分自身が誰かの奇妙な体験の原因になっていることもあるでしょう。
けれどそれらはみんな上記のように適当な理由をつけれら無理やり解決されてしまうことがほとんどです。
「あれは何だったのかしら」と首を傾げ続けるのは馬鹿らしいからと、誰からも合理的と思われる理由を持ってきて首をまっすぐ正すのです。
しかし、私は決してそれを批判するつもりはありません、批判できる箇所すら見つけられません。
私が主張したいのは奇妙なことは奇妙なこととして存在するということなのです。
通常人間の頭では理解できない恐ろしい力が存在しているのです。
私の姪なぞは盆に親戚が集まったとき、死んだ祖母が自分の枕元に立ち、誰も見つけてくれない自分の遺書のありかを伝えに来たと言い回っておりました。
大人は誰も信じなかったのですが、私が姪にそのありかを聞いて遺書を探しに行きましたら、本当に彼女の祖母の直筆の遺書が見つかり、
親戚一同驚いたということがありました。
その遺書には財産の相続についてが書かれておりまして、遺言も残せず死んでいったことに祖母は未練を抱いていたのでしょうか。
姪が祖母に可愛がられていたこともあり皆それぞれ感動していましたが、やはり中には現実以外の世界を認めない者も多々おりまして、
彼らは偶然だと一蹴してしまいました。
私は、本当に祖母の霊が現れたにしろ、ただの偶然だったにしろ、姪が祖母の遺書のありかを知っていたことには変わりないのですからこれは奇怪極まりないと思うのです。
そして奇妙なできごととは、救いとも地獄ともなるのです。
このできごとが祖母の霊のなしたことであったならば姪は情の深い人間に成長するでしょう、そうでないなら姪は全ての人間を疑って生きなければならないでしょう。
これは私が仕事で世話になっている上司のもとへ新年の挨拶へむかった時の話です。
上司の家は山の奥にありましたので歩いて行くほかに手段がありませんでした。
部下を連れて行こうかとも思いましたが熊も眠っている季節ですし、何より私自身が他人と一緒に行動することを苦手としておりましたので、
ひとりでわずかに積もった雪を踏みながら山を登りました。
車なんてとても通れない枯れ木に囲まれた細い道を白い息を吐きながらどんどん登っておりますと、なにやら近くからざくざくと地面を掘る音が聞こえてきました。
このあたりには上司のほかにもいくらか住民がおりますので、その誰かだろうとあまり気にならなかったのですが、ふと音のほうを覗いてみますと、
あぁ、どうして覗いてしまったのでしょう、一心不乱に地面を掘る青年の姿を、私は見てしまったのです。
こんなに寒いのに学生服の上に何も羽織っていない青年は手がしもやけになっているのも気に留めずひたすら大きな作業用のスコップで地面を掘り続けています。
そのとき私は慣れない山道に疲れていたこともあり、休憩のつもりで青年に話しかけていました。
やぁ、こんなところで何をしているんだ。
警戒されぬよう気さくに話しかけたつもりだったのですが、青年は私をちらと見ただけですぐに作業を再開しました。
ここは麓の人里からも離れた場所ですので部外者に厳しいのも仕方ありませんが、あんまり閉鎖的なのは良くないと私は思いました。
おそらく彼は学生であろうから、今までの日本のように何もかもを拒絶していては発展しないことを学校で学んでいるはずです。
彼の態度を失礼に感じた私は彼の隣に立ち、何をしているのかと声を大きくして尋ねました。
すると青年はようやく顔をあげて私を見ました。
その顔は今でも忘れられません、色が薄くやせて窪んだ目は曇って何も映していないようで、その眼球は怯えるように小刻みに震えておりました。
白い息を吐く口は死人のように真っ青で、青年の肌が白いこともあり私は本当に彼は死人ではないかとおののきました。
まさか自分の墓穴を掘っているのではないかとすら思ってしまうほど不気味な青年は私を見たまま何も言わず立ち尽くしていました。
私はこれは関わらないほうがいいと考え逃げるようにまた山道を登りました。
後ろからはまたざくざくと地面を掘る音が響いていました。
上司の家は立派な庭園のあるたいそう広く古い豪邸で、私が到着したときにはもう何人もの同業者が集まっていました。
知っている者もいくらかいましたので私はあの青年のことなど忘れて忙しく挨拶をして回りました。
しかし日が落ちて居間で宴会をしていましたとき、ふと思い出して隣にいた若い男に話しかけました。

「お前はここへ来るとき、東側から来たか?」

「えぇ、東側です」

「なら、妙な男がいただろう。ひたすら穴を掘っている……」

そこまで言いますと、若い男の向こうにいた私の上司が身を乗り出すようにして私の隣へ来ました。

「そりゃあ、笹塚さんのとこの息子だな。全体的に、こう、色の薄い男だろう?」

私がうなずくと上司はあごひげをなでながら声をひそめて話し出しました。

「あんたらは知らんかもしれんがな、去年、笹塚さんの家族が惨殺されたんだよ、あの息子ひとり残してな。むごい殺し方だよ。
 犯人はだいたいわかっているらしいが、どうにも人とは思えない化け物の類だそうだ。俺にはそれがどういうことかわからんがね。
 それで息子の方は相当に気を病んでしまったみたいで、奇行ばかり繰り返しよる。友人との縁も切って学校にも行かずに何をしとるか何を考えとるか予想もできん。
 あんなに良くできた子が落ちていくのは見てて気分のいいもんじゃないな、慰めの言葉も受け取ってもらえん」

だから、死んだような顔をしていたのか。
私はしだいにあの青年で頭の中がいっぱいになって酒の味もわからなくなってしまいました。
好きだったはずの黒豆の甘さも、脳裏に焼きついたあの今にも腐り落ちそうな青年の顔が邪魔をしてほろ苦く感じました。
上司は私の味覚の変化など気付くはずもなく酒をすすめましたが、私はそろそろ酔いが回ってきたと言って遠慮しました。
上司がほかの者のところへ行ってしまうと隣の若い男が私に話しかけました。

「あの家族を殺された人と少しだけ話をしました」

「そうか、俺が無視されたけどな」

「蟻地獄を作ってるんだって、言ってました」

「蟻地獄?」

私が尋ねると若い男もわからないらしく何のことでしょうねと首を傾げました。
家族を殺されたために蟻地獄を作る男。
蟻でもないくせに蟻地獄を作る男。
それはとても恐ろしい人間性ではないでしょうか。
私がしばし考え込んでいますと、女中が横に避けた余りの膳につまずいて私に酒をこぼしてしまいました。
それほど高い着物ではなかったのですが女中は泣きながら私の前で土下座をして小さな頭を畳にこすり付けて謝りました。
まだ若いから失敗もあるのでしょう、私は奥二重のかわいい女中に労りの言葉をかけましたが一向に泣き止まないし顔も上げてくれません。
これでは私が泣かせてしまったようだと困っていますと、何事だと聞きつけた上司が女中の髪を引っ張り顔を上げさせました。
こんなに謝っているのだからと私は言いましたが上司は女中を連れてほかの部屋へ行ってしまいました。
隣の若い男は始終、苦笑いをしていました。
夜も更けて皆帰り支度をし始めたころ私は上司に呼ばれて別室へ向かいました。
ふすまを開けますと薄明かりの下、部屋の真ん中にきれいな花が生けられていました。
私は花には詳しくないので花の名前なぞは検討もつきませんし、その芸術性も理解できませんが、小さく赤い花の群衆の中心に女の首が置かれて
いるのは奇抜でおもしろいと思いました。

「どうかね」

上司が自慢げに女の頭をなでました。

「はぁ、これはここでしか見られませんねぇ。希少なものは総じて価値が高いのでは」

にやりと笑う上司は私の発言を気に入ったようでした。
でも奥二重のかわいい女はずいぶんと泣き叫んだようで、目は腫れているし顔は真っ赤だし舌が口からはみ出ています。

「ひどい顔だな」

ぽつりと私が呟くと上司は喜んで笑い出しました。
上司が笑うたびに畳がきしみました。
私は初めて会ったときからこの上司が嫌いでした。
泊まっていけと言う上司に明日実家に帰る切符を買っているのでと嘘をついて外に出ると月は真上にあって、もう他の連中は帰って誰もいませんでした。
冷たい空気が衣服で覆われていない部分にまとわり、酒で上がった体温を徐々に下げていきました。
明日の朝はずいぶん冷えることでしょう。
風に吹かれてざわめく山道を下っていきますと、例の青年のいた場所まで戻りました。
どんな出来になったのかとランプを地面に近づけてみますといくつも穴を掘った跡がありました。
よく見ると大きな石や木の根があって掘り進められなくなったようです。
穴は道を外れて奥へ続いていて、どうして興味をもってしまったのか、私は穴をたどって暗がりの奥へ進みました。
夜道を歩くことは怖くありませんでしたが、ここまで青年が穴を掘ることに執着していたことには恐怖を感じました。
いったい何を思ってスコップを握っていたのでしょう。
もう自分が山のどの辺りにいるのかわからなくなり不安を覚えてきたころ、私はそこにたどり着いてしまいました。
ランプを持つ手が寒さとは関係なく震え、夜の声も耳に届かなくなりました。
私の眼前には巨大な蟻地獄が完成されていました。
家一軒が収まりそうな広さに、底の見えない深さ。
歪みのない美しい円は均等に掘り進められていて、山の中であるはずなのにその穴には草木のかけらもなく障害であったはずの岩や根も一切見えませんでした
ここは本当に私の知っているあの山なのか?
あぁ、こんなことが、起こり得るなんて……。
立ちすくみ動けなくなった私は自分が正常であるのか心配になってきましたが、そこで大変なことに気付いてしまいました。
これが蟻地獄ならば、あの青年はこの穴の中心にいるのだろうか?
この暗く深く冷たい土の下で青年は餌を待ち虎視眈々と目を光らせているのか?
だが、餌とは、彼にとっての餌とはなんだ、まさか、彼は、彼の奇行とは……。
家族を殺されたことで青年はおかしくなったのではなかったのでしょう。
青年は他の人間よりもずっと優れていて、超越した思考は凡人には到底理解できない領域にあったのです。
おそらく彼はここで犯人を待っているのでしょう、ひとり残された悲しみと憎しみを抱いて、胎児のようにこの土に包まれて、死ぬまで、ひとりで。
なんて奇妙なことでしょう。
しかしこの中に青年がいると決まったわけではありません。
どこか別の場所からこの穴を見張って、足を踏み入れた者を片っ端から殺してしまうのかもしれませんし、これはたくさんある罠のうちのひとつで
今は他の罠を作成しているのかもしれません。
私は意を決して穴を覗き込みました。
均等に円状に削られた土はさらさらで固い石はひとつもありません。
ランプでは光が届かないずっと奥にはねっとりとした闇の海が広がり、非人間的なこの光景に私はめまいがしていました。
めまいがして、つい、その穴に飛び込んでしまいそうな。
そんな気さえおきてしまう魅力的な地獄です、私が蟻ならば餌食となることも厭わないでしょう。
地獄が苦痛であるとは限らないのです、誰も知りえない神の世界を人間が想像で語ることなどしてはならないのです。
理由、動機、目的、何一つわからない青年の行動に私は興奮していました。
あの青年にもう一度会ったとすれば彼はどんな言葉を発するのか、どんな奇行を見せてくれるのか、そして何を望みどこへ行き着くのか。
私は大声で彼の名を呼びました。
上司の話を聞いていて良かった、名前を知らなければ呼ぶこともできない。
笹塚、いるのか、そこにいるのか、出てきてくれ、この中にいるのか。
冷えた体も火照るほどに私は呼び続けました。
何度も何度も呼び続けました。
月が雲に隠れても呼び続けました。
ランプの火が消えてもなお呼び続けました。
そして私は蟻地獄の奥底、奈落のようなその奥に光る二つのヒトの目を見ました……。
私がお話できるのはここまでです、この先のことはどうぞみなさんでご想像ください。
私はこれからこの砂に足を沈めなければならないのです。
どうしてと聞かれても答えることはできません。
あなたは私の行動を奇妙に思うことでしょうが、それでかまわないのです。
ある人は人間的だと言うでしょう、ある人は物語的だと言うでしょう、でもそのどれも正解ではないのです。
語りえぬものについては沈黙しなければならない、私はそれを免罪符にして彼のもとへ沈むのです。
もうすぐ春が来ます、どうぞお元気で。
 
END

これ國笹なのか?